いかけて行くのであります。やがて流れて行く屋根に追いついた時分は、ここに堤防を守っていた人々とは相距《あいさ》ることがよほど遠くなって、屋根の蔭に隠れてしまったムク犬の姿は、見ることができませんでした。しかし、屋根だけは相変らず浮きつ沈みつして、下流へ押流されて、これもようやく眼界から離れるほどに遠くなってしまいました。無論、屋根のところへ泳ぎついて、屋根の蔭にかくれてしまってから後のムク犬の姿は、その首でさえも再び水面へは現われませんでした。
ながめていた沿岸の人たちは、犬のことを中心にしてさまざまな評議です。あの犬は人を助けに行ったのだろうと言う者もありました。水を見て興を抑えることができないで、自ら飛び込んだものであろうという人もありました。いずれにしてもこの水の中へ飛び込むとは思慮のないこと、それが畜生の浅ましさ、あたら一匹の犬を殺してしまったというような話でありました。慢心和尚はその評判を聞きながら、こんなことを言いました。
「昔、淡路国《あわじのくに》岩屋の浦の八幡宮の別当《べっとう》に一匹の猛犬があった、別当が泉州の堺に行く時は、いつもその犬をつれて行ったものじゃ、その犬が行くと、土地の犬どもが怖れ縮んで動くことができなかったということじゃ。さてその猛犬は、単独《ひとり》で海を渡って堺へ行くことがある、犬の身でどうして単独で海を渡るかというに、まず海岸へ出て木を流してみるのじゃ、その木が堺の方へ流れて行くのを見て、犬はよい潮時じゃと心得て、己《おの》れが乗れるほどな板を引き出して来てそれに乗る、そうすると潮の勢いがグングンと淡路の瀬戸を越えて、泉州の堺まで犬を載せて一息に板を持って行ってしまう、そこで板から下りて身ぶるいをして、泉州の堺へ上陸するという段取りじゃ。その潮の流れ条《すじ》というのは、それほど急な流れで至って勢いが強い、この潮へ引き込まれた船は帆を張っても力が及ばないで、ずんずんと一方へ引かれて行くのじゃ。それほどの潮条《しおすじ》があることを、犬はちゃんと心得て、まず木を流して潮時を見ておいて、それから筏《いかだ》をこしらえて載るというのが感心ではないか、それ以来、この潮時を別当汐《べっとうじお》と名づけるようになったという話がある」
お前たちより犬の方が思慮もあり、勇気もあるから、心配するなというようにも聞えました。
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