。外へ出しては骨無しみたような先生が、この野戦病院の中で縦横無尽に働く有様は、ほとんど別人の観があります。打身《うちみ》は打身のように、切創《きりきず》は切創のように、気絶したものは気絶したもののように、繃帯を巻くべきものには巻かせたり巻いてやったり、膏薬《こうやく》を貼るべきものには貼らせたり貼ってやったり、上下左右に飛び廻って、自身手を下し、或いは人を差図して、車輪に働いているところは、さすがに轡《くつわ》の音を聞いて眼を醒ます侍と同じことに、職務に当っての先生の実力と、技倆と、勉強と、車輪は、転《うた》た尊敬すべきものであると思わせました。
ただあまりに勉強と車輪が過ぎて、火鉢にかけた薬鑵《やかん》の上へ膏薬を貼ってしまったり、ピンピンして働いている男の足を取捉まえて繃帯をしてしまったりすることは、先生としては大目に見なければなりません。
「こう忙がしくっちゃあ、トテもやりきれねえ」
ブツブツ言いながら、先生はついに諸肌脱《もろはだぬ》ぎになって、向う鉢巻をはじめました。その打扮《いでたち》でまた片っぱしから療治や差図にかかって、大汗を流しながら、
「こんなに人をコキ遣《つか》って十八文じゃあ、あんまり安い、五割ぐらい値上げをしろ」
口ではサボタージュみたようなことを言いながら、その働きぶりのめざましさ。
主人の道庵先生は、こんなにして働いているのだから、先に返した駕籠に乗って帰った人が先生でないことは勿論《もちろん》であります。先生でなければ誰。医者か病人に限って乗るべきはずの切棒の駕籠、それに医者が乗って帰らなければ、病人に違いない[#「い」は底本では脱落]。
十三
酒井の市中取締りの巡邏隊に追い崩された茶袋の歩兵は、彼処《かしこ》の路次に突き当り、ここの店の角へ逃げ込んだのを、弥次馬がここぞとばかり追いかけて、寄ってたかって石や拳で滅茶滅茶に叩きつけて殺してしまいました。その屍骸《しがい》があちらこちらに転がっているのは無残なことです。この騒ぎが、漸《ようや》くすさまじくなりはじめた時分、ちょうど宇治山田の米友が、屋根の上から飛び降りた時分のことであります。若い武士が、肩に一人の人を引掛けて刎橋《はねばし》を跳《おど》り越えて、そっと竜泉寺の方へ逃げて行くらしい姿を見ることができました。一方は田圃《たんぼ》、一方は畑になっ
前へ
次へ
全100ページ中64ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング