「そうですね、三条小橋縄手というところなんでしょう、縄付ではなかったのね」
「京都の池田屋さんというのでしょう、京都の騒動をどうしてここまで売りに来るんでしょうね」
「どうしてでしょう、きっとその池田屋さんに悪い番頭があって、お駒さんのような綺麗《きれい》なお嬢さんがあって、それから騒動が起ったといったような筋なんでしょう」
「わたしもそう思ってよ、お駒さんはかわいそうね」
「ほんとにお駒さんはかわいそうよ、言うに言われぬ訳《わけ》あって、夫殺しの咎人《とがにん》と、死恥《しにはじ》曝《さら》す身の因果、ふびんと思《おぼ》し一片の、御回向《ごえこう》願い上げまする、世上の娘御様方は、この駒を見せしめと、親の許さぬいたずらなど、必ず必ずあそばすな……」
「よう、よう」
「買ってみましょうか」
「エエ、新撰組の隊長で、鬼と呼ばれた近藤勇が、京都は三条小橋縄手の池田屋へ斬り込んで、長曾根入道興里虎徹《ながそねにゅうどうおきさとこてつ》の一刀を揮《ふる》い、三十余人を右と左に斬って落した前代未聞《ぜんだいみもん》の大騒動、池田屋の顛末《てんまつ》が詳しくわかる」
「おやおや、お駒さんじゃありませんよ、京都へ鬼が出て三十人も人を食ったんですとさ」
「これこれ、読売り」
「へえ、へえ」
「一枚くれ」
「はい、有難うございます」
覆面した浪士|体《てい》の二人連れの侍が、読売りを呼び留めてその一枚を買いました。
「エエ、これはこのたび、京都は三条小橋縄手池田屋の騒動、新選組の隊長で、鬼と呼ばれた近藤勇が、京都は三条小橋縄手の池田屋へ斬り込んで、長曾根入道興里虎徹の一刀を揮い、三十余人を右と左に斬って落した前代未聞の大騒動、池田屋騒動の顛末が委《くわ》しくわかる……」
「ははあ、こりゃ手紙のうつしだ、通常の読売りとは違って、手紙そのままを摺《す》ったものじゃ。手紙というのは近藤勇が、池田屋騒動の顛末を父の周斎に送った手紙じゃ。こりゃかえって面白い」
浪士体の二人は、かえってその手紙の摺物《すりもの》を喜びました。
せっかく買おうと思った娘たちは、鬼だの人を食ったのということで怖気《おじけ》が立って、手を引いてしまいました。
それを聞いていた米友の好奇心は、かなり右の読売りの能書《のうがき》で刺戟されました。米友は新撰組だの近藤勇だのということは、よく知ってはいませんでした。
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