……」
「エ!」
「嘘だ、嘘だ」
「冗談《じょうだん》じゃねえ、善兵衛さん、貧窮組が納まって間もねえ時だ、嚇《おどか》しっこなし」
「生首は嘘だが、まあ外へ出てごらんなさい、大変な張紙だ」
「エ、張紙?」
張紙と聞いてやや安心をしました。やや安心したけれど、それは生首と聞いた時よりも安心したので、この時分の張紙は、生首と聞くのと、ほぼ同じように気味の悪いものでありました。親爺連はせっかくの興を殺《そ》がれたけれど、また別の興味を持って外へ出たり、外を覗《のぞ》いたりして見ると、その自身番の北手の雨樋筒《あまひづつ》に大きな張紙がしてあって、それを通りがかりの人が、大勢して読んではワイワイ騒いでいるのであります。
「また、こんな悪戯《いたずら》をはじめやがった、人騒がせな悪戯だ」
と自身番の親爺は、ブツブツ言いながらその張紙を引っぺがしにかかりました。自分も読まないうち、人にも読ませないうちになるべく早く引っぺがして、町奉行にお届けをする方がよいと思って、邪慳《じゃけん》にそれを引っぺがして、自身番の中へ持ち込んでしまったから、見物の中には一読したものもあろうし、まだ読みかけて半ばのものもあったろうし、これから読もうと思っていた者もあったのが、一同、鳶《とんび》に物を浚《さら》われたような気持になって、自身番へ持ち込んだ親爺連の後ろを恨めしげに見送っていること暫時《しばし》、幸いに大した騒ぎにはならずに散ってしまいました。
自身番の内部へその張紙を持ち込んだ親爺連、額を集めて眼の敵《かたき》のようにそれを読みはじめました。その文言はこうであります。
[#地から9字上げ]「糸会所取立所
[#地から3字上げ]三井八郎右衛門
[#地から3字上げ]其他組合の者共
[#ここから1字下げ]
此者共、めいめい世界中名高き巨万の分限にありながら、足ることを知らず、強慾非道限り無き者共、身分の程を顧みず報国は成らずとも、皇国《みくに》の疲労に相成らざるやう心掛くべき所、開港以来諸品高価のうちには、糸類は未曾有の沸騰に乗じ、諸国糸商人共へ相場状《そうばじよう》にて相進め、頻りに横浜表へ積出させ候につき、糸類悉く払底、高直《こうぢき》に成り行き万民の難渋少からず、畢竟此者共荷高に応じ、広大の口銭を貪り取り候慾情より事起り、皇国の疲労を引出し、一己《いつこ》の利に迷ひ、他の難渋を顧みず、不直《ふちよく》の所業は権家へ立入り賄賂《わいろ》を以て奸吏を暗まし、公辺を取拵《とりこしら》へ、口銭と名付け大利を貪り、奸吏へ金銭を差送り、糸荷を我が得手勝手に取扱ひ、神奈川関門番人並に積問屋共へ申合せ、所謂《いはゆる》世話料受取り、荷物運送まで荷主に拘はらず自儘取扱ひ、不正の口銭貪り取候事、右糸会所取立三井八郎右衛門始め組合の者、他の難儀を顧みず、非道にて所持の金銭並に開港以来貪り取る口銭広大の金高につき、今般残らず下賤困窮人共に合力《ごうりき》の為配当つかはし申すべし、若し慾情に迷ひ其儘捨て置かば、組合の者共一々烈風の折柄《をりから》天火を以て降らし、風上より焼立て申すべく、其節に至り隣町の者共、火災差起り難渋に之れ有るべく候間、前記会所組合の者共名前取調べ置き、類焼の者は普請金並に諸入用共、存分に右の者より請取り申すべく、且つ火災差起り候はば、困窮の者共早速駈付け、彼等貯へ置き候非道の財宝勝手次第持ち去り申すべく、右の趣、前以て示し置き候間、一同疑念致すまじき事」
[#ここで字下げ終わり]
これだけのことを、自身番の親爺のうちでも読むことの達者な眼鏡屋《めがねや》の隠居が、スラスラと節をつけて読み立てました。
下駄屋の親爺は、面白そうに聞いていました。質屋の隠居は、不安らしい面《かお》をして聞いていました。
「なにしろ、事が穏かでごわせんな」
と質屋の隠居は、いとど不安心の色を深くしました。
「はははは、三井さんも、いよいよやられますかな」
下駄屋の親爺は、やはり面白半分に深くは問題にしていないらしくあります。
「ナニ、やる奴に限って先触《さきぶれ》は致しませんな、ただほんのイタズラでございますよ、嚇《おどか》しに過ぎませんよ」
寝ころんで種彦を読んでいる親爺が、やや遠くから言い出しました。
「そうも言えませんぜ、人気のものですからワーッと騒ぐと、何をやり出すか知れたものではござんせん、本所の相生町《あいおいちょう》の箱惣《はこそう》なんぞがそれでございますからな、首を刺されて両国橋へ曝《さら》されて、やっぱりこの通りの張札をされたんでございますからな」
眼鏡屋の隠居はそれに答えました。
「ああ、鶴亀、鶴亀、そんな話は御免だ」
と質屋の隠居は気を悪くしたと見えて、煙草入を腰に挟《はさ》んで立ち上りました。折角今まで碁を打っていたのに、それを早々逃げ腰になったところを見れば、この親爺連のうちでは、質屋の隠居が一番弱虫であることがわかります。
質屋の隠居が逃げ出したあとで人々の噂《うわさ》によれば、この隠居も、実は張札の糸では組合に入って大分|儲《もう》けている側だとのことでありました。この次に来たら嚇《おどか》して奢《おご》らしてやらずばなるまいなんぞと、あとに残った親爺連はいろいろ評定していました。
斯様《かよう》な張札はこの頃の流行《はや》り物《もの》としたところで、これはあまり物騒過ぎる。このままでは捨てておけないから自身番の親爺連は、これを町奉行の手へ届けることに評定をきめて、二三人の総代がそれを持って表へ出ました。
表へ出たところへ、折よく町奉行の手に属する見廻りの役人が、この自身番へやって来ました。それを幸いに総代は、
「実は斯様な次第でございまして、斯様な張札が……」
役人はそれを聞いてみて一通り読んで後、
「この筆蹟は……」
と首を傾《かし》げました。
その張札を町奉行へ持って来て、その筆蹟をあれこれと評議をしてみたところが、それが道庵の文字に似ているということが、至極迷惑なことであります。
長者町の名物としての道庵は、貧窮組と聞いて喜んで演説までしたけれども、それは至極穏健な演説で、貧窮組にも同情を寄せるし、物持連中にも、なるべく怪我をさせないようにとの苦心をしたものでありました。
道庵はこんな張札をする人物でないということは、お上の役人にもよくわかっているけれど、それにしてもこの筆蹟が道庵ソックリの筆蹟でありました。これはイタズラ者が、わざと道庵の筆蹟を真似て書いて、あとを晦《くら》まそうとした手段であることは明らかだけれど、それがために、いい迷惑を蒙《こうむ》ったのは道庵先生であります。ことにこのごろは鰡八大尽《ぼらはちだいじん》と楯を突き合っている時でもあるし、よしこれは道庵が書かないにしても、道庵に知合いのもの、道庵の許《もと》へ出入りする者の仕業《しわざ》ではないかと、目を着けられるようになったのがかわいそうであります。
三
甲斐《かい》の国の八幡《やわた》村の水車小屋附近で、若い村の娘が惨殺されて村を騒がした後、小泉家には、机竜之助もお銀様もその姿を見ることができなくなりました。
二人はどこへ行ったか、その入って来た時と同じように、この家を去ったのも、誰も知るものはありませんでした。これを想像するに、或いはいったん甲府へ帰って、また神尾主膳の下屋敷にでも隠れるようになったものかも知れません。或いはまたお銀様の望み通りに、江戸へ向けて姿を晦《くら》ましたものかも知れません。とにかく、八幡村にはこの二人の姿は見えないのであります。
或る人はまた、夜陰《やいん》、小泉家から出た二挺の駕籠《かご》が、恵林寺《えりんじ》まで入ったということを見届けたというものもありました。しかし、小泉家と恵林寺とは、常に往来することの珍らしからぬ間柄でありましたから、それを怪しむ心を以て見届けたのではありません。
駒井能登守去って以来の甲府は、神尾主膳の得意の時となりました。けれどもその得意は、あまり寝ざめのよい得意ではありませんでした。心ある人は主膳の得意を爪弾《つまはじ》きしていました。主膳自らもこのごろは、酒に耽《ふけ》ることが一層甚だしくなって、酒乱の度も追々|嵩《こう》じてくるのであります。酒乱の後には、二日も三日も病気になって寝るようなことがあります。
主膳は執念深くも、能登守がお君という女をどのように処分するかを注目し、手討にしたという評判を聞いた後も、その注目をゆるめることなく、そののち向岳寺に、見慣れぬ尼が送り届けられているということを聞いて、途中でその女を奪い取らせようとしました。
お松が神尾の屋敷を脱け出したのは、その間のことでありました。向岳寺から出た乗物を奪わせようと計ったことが、さんざんの失敗に終ったという報告も同時に齎《もたら》されたが、主膳がそれと聞いて何とも言わずに苦笑いして、寝込んでしまったのもその時分のことです。
甲府城内の暗闘とか勢力争いとかいうことは、それで一段落になりました。
別家にいるお絹という女にとっても、このごろは同様に荒《すさ》んだ有様がありありと見えます。出入りの誰彼との間に、いろいろとよくない噂が口に上るようになりました。或いは当主の主膳と、このお絹との間柄をさえ疑うものが出て来るようになりました。
それらの不快や不安を紛らわすためかどうか知らないが、神尾を中心として酒宴を催されることが多くなり、お絹もまた、その別家へ人を招いては騒々しい興に、夜の更くることを忘れるようなことが多くありました。それから勝負事は一層烈しくなり、お絹までが勝負事に血道《ちみち》を上げるようになってしまいました。
このごろのお絹は、自宅へ男女の客を招いては勝負事に浮身《うきみ》をやつしています。
或る時は、思いがけない大金を儲《もう》けることもありました。或る時は、大切の頭飾《かみかざ》りなどを投げ出すようなこともありました。
興が尽きて客が去ったあとでは、なんだか堪《たま》らないほどな淋《さび》しさを感ずるようになりました。その淋しさを消すために、冷酒《ひやざけ》を煽《あお》るようなこともあり、ついには毎夜、冷酒を煽らなければ寝つかれないようになってしまいました。
お松がいればこれほどにはならなかったものであります。お絹はともかくもお松を保護していました。お松もまた何かと言っても、恩人としてその人に忠実でありました。だからお松があることによって、なんとなしに前途に希望を持っていましたけれど、そのお松が逃げてしまってみると、頼む木蔭の神尾の当主というのはこの通りの人物であるし、自分は年ようやくたけて容色は日に日に凋落《ちょうらく》してゆくし、そうかと言って、頼るべき親類も、力にすべき子供もないのであります。それを考えると、前途は絶望あるのみでありました。足許の明るいうち、また故郷の浜松に舞い戻ろう、お絹はこうも思慮を定めました。しかし故郷へ引込むには、引込むようにしなければならないと思いました。先立つものは金であります。その金が全く思うようにならぬ時分に、こんな思慮を定めたことは不幸であります。
「金が欲しい、お金が欲しい」
お絹は痛切にそのことを考えました。それがお絹をして一層、勝負事に焼けつくようにさせてしまいました。
ところが、そんな場合における勝負運は皮肉なもので、勝ちたいと思えば思うほど負け、焦《あせ》れば焦るほど喰い違ってゆくのであります。お絹は身の廻りの、ほとんど総ての物を失ってしまいました。借りるだけの信用のある金は借り尽してしまいました。
今夜も、お絹は堪らなくなって、隠しておいた冷酒を茶碗に注いで飲もうとする時に、本邸の方で大きな声で罵《ののし》るのが聞えます。
それは紛れもなき主人の神尾主膳が、酒乱のために人を罵っているのであります。
それを聞きながらお絹は、また一杯の冷酒を茶碗に注いで、口のところへ持って行ったけれど、それは苦いもののようであります。
「お絹殿、お絹殿」
呂律《ろれつ》も廻らない声でお
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