、皮を剥がれても生きている、生きていて、皮を剥がれたなりの姿で歩くこともできるものだ」
と主張する者がありました。
「そんなばかなことがあるものか、いくら強い動物だからと言って、全身の生皮《なまかわ》を剥がれて、それで生きていられるはずがあるものか、ましてそれで歩ける道理があるものか、途方もないことを言わぬものだ」
と反駁《はんばく》する者もありました。
「それがあるから不思議だ、まず古いところでは、古事記にある因幡《いなば》の白兎の例を見給え」
と言って主張するものは、大国主神《おおくにぬしのかみ》が鰐《わに》に皮を剥がれた兎を助けた話から、
「それは神代《かみよ》のことで何とも保証はできないが、近くこれこれのところで、猫の生皮を剥いでそれが歩き出した、犬を剥いて試してみたところが、それも見事に歩いたということを、確かな人から聞いた」
というような実例をまことしやかに弁じ立てました。反駁する者は、決してそんなことはあるべきはずのものではないと言い、主張するものはいよいよそれが事実あり得ることで、たとえば居合《いあい》の上手が切れば、切られた人が、切られたことを知らないで歩いていたとい
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