ふと戸の外を叩く物の音のあることに気がつきました。宇津木兵馬がまた訪ねて来たなと思って、甚三郎は立って戸をあけにかかりました。けれどもそれは宇津木兵馬ではなくて、見馴れぬ労働者風の男でありましたから、
「誰じゃ」
 甚三郎は拳銃をさぐって用心しました。
「拙者だ、南条だ」
 駒井甚三郎は、その一言で了解することができました。
 ほどなく駒井甚三郎と南条なにがしという奇異なる労働者と二人は、前の室内で椅子によって対坐することとなりました。
 その以前、やはり不意にこの男が、甲府の駒井能登守の邸を夜中に驚かしたことがあったように。
 その時はそれと知らずして驚かしたものでしたが、今はそれと知って訪ねて来たものらしい。
 能登守の風采《ふうさい》もその時とは変っているが、南条の風采もやや変っています。
「何をしていた」
と駒井甚三郎が尋ねました。
「ここの工事の人足を働いている」
 南条が答えます。
「それは知らなかった」
「こっちも知らなかった」
「どうして拙者がここにいることがわかったか」
「宇津木兵馬から聞いた」
「なるほど――」
 南条は室内を一通り見渡したが、例の小型の蒸気船の模型
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