の親爺は息を切りました。この男のそそっかしいのは今に始まったことではないけれど、今日は眼の色が変ってるだけに、それから貧窮組の騒ぎが納まって間もない時であるだけに、そこに集まる親爺連の胸を騒がせて、
「どうなすった」
 種彦《たねひこ》の合巻物《ごうかんもの》を読んでいた親爺も、碁と将棋をちゃんぽんにやっていた親爺も、それの岡目をしていた親爺も、昼寝をしていた親爺も、そこに集まる親爺という親爺が、みんな下駄屋の親爺の大変だという一声で驚かされました。
 一体、ここへ集まる親爺連は、かなりいい気なものでありました。外は往来の劇《はげ》しい本町の真中で、内は閑々たる別天地、半鐘がジャンと打《ぶっ》つからない限りは他人の来る気遣《きづか》いはないところで、これらの親爺連の心配になることは、夕飯を蕎麦《そば》にしようか、それとも鰻飯《うなぎめし》とまで奮発しようかというような心配でありました。鰻のついでに酒の隠れ呑みもしなければならないというような心配でありました。その閑々たる空気を、下駄屋の親爺が破って言うことには、
「外へ出てごらんなさい、大変な物だ、そこの雨樋筒《あまひづつ》に生首が一ツ
前へ 次へ
全172ページ中30ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング