料《たかね》に至れば、貧人飢餓に耐へざるより、或は五町七町ほどの賤民おのおの党を組みて、身元かなりの商家に至り押して救助を乞はんとて其町々に触示《しよくじ》し、※[#「にんべん+尚」、第3水準1−14−30]《もし》其の党に加はらざれば金米その他何品にても救助の為に出すべき旨強談に及ぶにぞ、勢ひ已《やむ》を得ざるより身分に応じ夫々《それぞれ》に物を出して施すもあり、力及ばぬ輩《やから》は余儀なく党に加はるをもて、忽《たちま》ち其の党多人数に至り、軈《やが》て何町貧窮人と紙に書いたる幟《のぼり》をおし立て、或は車なんどを曳いて普《あまね》く府下を横行なし、所々にて救助を得たる所の米麦又は甘藷《さつまいも》の類《たぐひ》を件《くだん》の車に積み、もて帰りて便宜の明地《あきち》に大釜を据ゑ白粥を焚きなどするを、貧民妻子を引連れ来りて之を争ひ食へる状《さま》は、宛然《さながら》蟻《あり》の集まる如く、蠅の群がるに異ならで哀れにも浅間《あさま》しかり、されば一町|斯《かく》の如き挙動に及ぶを伝へ聞けば隣町忽ちこれにならひ、遂に江戸中貧民の起り立たざる場所は尠《すくな》く……云々」
[#ここで字下
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