者や狂言方のお覚えも結構なものであります。
 ここに哀れをとどめたのは道庵先生で、せっかく図に当った馬鹿囃子は、この園遊会と朝鮮芝居のために、すっかり圧《お》されてしまいました。隣からは毎日毎日、この景気で見せつけられているのに、もう馬鹿囃子でもなし、そうかと言って、それに対抗するには上野の山内でも借受けて、和蘭芝居《オランダしばい》の大一座でも買い込んで来なければ追附かないのであります。それは先生の資力では、トテも追附かないことであります。
 道庵はそれがために苦心惨憺しました。自分の知恵に余って、子分の者を呼び集めて評定《ひょうじょう》を開いてみましたけれど、いずれ、道庵の子分になるくらいのものだから、資力においても知恵袋においても、そんなに芳《かんば》しいものばかりありませんでしょう。
 いよいよ大尽にぶっつかる手術《てだて》がなければ最後の手段は、先生が口癖に言う毒を飲ませることのみだが、口にこそ言うけれど、この先生は毒を飲ませて人を殺すような、そんな毒のある人間ではありません。

         二

 ここにまた、前に見えた「貧窮組」のことについて一言しなければならなくな
前へ 次へ
全172ページ中22ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング