話し合いました。人物の評をしてみたり、甲府以来の世間話をしたりしました。兵馬はこの人のいつも元気であって、好んで虎の尾を踏むようなことをして、屈託《くったく》しない勇気に感服することであります。それで識見や抱負の低くないことも尊敬せずにはおられないところから、ふと自分が迷っている女の処分方もこの人にうちあけてみたならば、また闊達な知恵分別も聞かれはしないかと思いました。
そこで、思いきって一伍一什《いちぶしじゅう》を南条にうちあけて、さてどうしたらよいものかと、しおらしくその意見を叩きました。
それを聞いていた南条は、事もなげにカラカラと笑って、
「君がその婦人を引受けたらよいだろう、駒井から貰い受けたらよいだろう」
「エエ!」
兵馬は眼を円くしました。南条は眼を円くしている兵馬の面《かお》を、調戯《からか》うもののようにながめながら、
「理窟を考えちゃいかん、君がその女の身を心配するならば、いっそ引受けて夫婦になってしまうがよかろう」
兵馬は、返事ができないほどに呆《あき》れてしまいました。
「はははは」
南条は本気で言ったのか冗談《じょうだん》で言ったのか知らないが、高笑いをして、こんなことは朝茶の前の問題といったような体《てい》たらくであります。
「そんなことが……」
兵馬は落胆《がっかり》するほどに呆れが止まりませんでした。前に言う通り、この人の志気や抱負には敬服するけれど、それは時代のことや政治のことだけで、男女の問題にかけては、こんなふうに大ざっぱで、且つ低い観念しか持っていない人かと思えば、大切な問題を、こんな人に打明けたことを悔ゆるの心をさえ起しました。南条はやはり事もなげに言葉をついで、こう言いました、
「それがいけなければ斬ってしまえ、その女を斬ってしまうがよい、こう言えば無慈悲のようだけれども、それは男子らしい処分と言えないこともない、紀州の殿様で、世嗣《よつぎ》の生みの母を手討にしてしまった人がある、生みの母というのは殿様のお手かけであった、腹の賤《いや》しい母を生かしておいては、他日国家の患《うれい》がそこから起り易いとあって、罪もないのに手討にしてしまった。わが子の母をさえ、家門のためには斬ってしまった殿様がある、それを思えば君のひっかかっている女なんぞはなんでもない、一時の小さな情にひっかかっていると大事を誤ることがある、一殺多生《いっさつたしょう》というのはそれだ、その女一人を斬ってしまえば、駒井もひっかかりがなくなる、君も解脱《げだつ》ができる、その女も君に斬られたら往生《おうじょう》ができることだろう。男子はそのくらいの勇気がなくてはならぬ、女々《めめ》しい小慈小仁に捉われているようでは大事は成せぬ」
これはあまりに乱暴な議論であります。さきに慢心和尚は、女を沈めにかけると言って兵馬を驚かせました。それは慢心和尚一流のズボラであったけれど、この男の言う議論は、実行と交渉のある議論であるから剣呑《けんのん》です。
七
兵馬と南条なにがしとがこうして王子を立って、江戸の市中へ向けて出かけて行ったと同時に、これはまた板橋街道の方から連立って、王子の方面へ入って来る二人の旅人があります。
かなり長い旅をして来たものらしく、直接に江戸へ入らないところを見ると、或いは王子を通り越して千住《せんじゅ》方面へ出るつもりかも知れません。先に立ったのはやや背の高い男、あとのは中背で前のよりは年も若い男。
「兄貴」
人通りの絶えたところで後のが声をかけました。その声を聞くとなんのことはない、これは執念深い片腕の男、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百でありました。
「何だ」
振返ったのは、取りも直さず七兵衛であります。
「今夜はどこへ泊るんだ」
百蔵は今ごろこんなことを言って、七兵衛に尋ねてみるのもワザとらしくあります。
「どこにしようかなあ」
歩いて来るには歩いて来たものの、二人はまだどこといってきめた宿がないもののようであります。
「今っからこの姿《なり》で、吉原《なか》へも行けめえじゃねえか」
とがんりき[#「がんりき」に傍点]が言う。
「そうよ」
「王子の扇屋へ泊ろうじゃねえか」
「いけねえ」
七兵衛が首を左右に振りました。
「どうして」
がんりき[#「がんりき」に傍点]は笠越しに七兵衛の面《かお》を見る。
「あすこはこのごろ、役人が出入りをしている、滝の川の方に普請事《ふしんごと》があって、それであの家が会所のようなことになっているから、上役人が始終《しょっちゅう》出入りをしているんだ」
「そうか」
がんりき[#「がんりき」に傍点]も暫らく口を噤《つぐ》んでしまいました。口を噤んでも二人は、なおせっせと道を歩いているのであります。
「それじゃあどうす
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