傍点]はなお得意になって、七兵衛をも尻目にかけながら、
「俺らは、ただこうして溜飲を下げさえすりゃそれでいいのだ、なにもこのお部屋様を、煮て喰おうとも焼いて喰おうとも言いはしねえのだ、これから先の料理方は兄貴次第だ、よろしくお頼み申してえものだな」
 がんりき[#「がんりき」に傍点]はこんなことを言って、さて猿臂《えんぴ》を伸ばして稲荷の扉の中へ手を入れて、何物をか引き出そうとしました。それは七兵衛にとっても多少の好奇心であり、また心安からぬことでないではありません。この野郎、ほんとうにその女をここへ浚《さら》って来たのかどうか、本来、こういうことを手柄に心得ている人間にしても、あまりに無茶で、乱暴で、殺風景であるから、七兵衛もムッとして苦《にが》い面《かお》をして、がんりき[#「がんりき」に傍点]を睨めていました。
「それこの通りだ」
と言ってがんりき[#「がんりき」に傍点]が、苦い顔をしている七兵衛の眼の前へ突きつけたのは、やや身分の高かるべき女の人の着る一領の裲襠《うちかけ》と、別に何かの包みでありました。幸いにしてそこには、この裲襠を纏《まと》うていた当の人の姿は見えないから、まず安心というものでしょう。
「これがどうしたんだ」
 七兵衛はその裲襠と、がんりき[#「がんりき」に傍点]の面《かお》を等分にながめていると、がんりき[#「がんりき」に傍点]は、
「これがその、講釈で聞いた晋《しん》の予譲《よじょう》とやらの出来損ないだ、おれの片腕では、残念ながら正《しょう》のままであの女をどうすることもできねえんだ、時と暇を貸してくれたら、どうにかならねえこともあるめえが、差当って今夜という今夜、あれを正のままで物にするのはむつかしいから、そのあたりにあったこの裲襠と、床の間にあったこの二品、どうやらこれが金目のものらしいから、引浚《ひっさら》って出て来たのだ。ともかくも、これだけの物があれば、これを道具に能登守にいたずらをしてやる筋書は、いくらでも書けようというものだ。この裲襠を見ねえ、地は縮緬《ちりめん》で、模様は松竹梅だか何だか知らねえが、ずいぶん見事なものだ、それでこの通りいい香りがするわい、伽羅《きゃら》とか沈香《じんこう》とかいうやつの香りなんだろう、これを一番、能登守に持って行って狂言の種にして、奴がどんな面をするか、それを見てやりてえものだ。こっち
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