ら西洋がお好きでございました、わたくしのことなんぞを今ここで申し上げたとて、お取り上げになろうはずがござりませぬ、もうあのお方のお心のうちは、西洋の学問やなにかのことでいっぱいなのでございます、わたくし風情《ふぜい》が何を申し上げたとて、それに御心配をなさるような、賤《いや》しいお方ではござりませぬ、それだけお聞き申せば、もう充分でござりまする」
お君としては冷やかな言い分でありました。その冷やかな言い分のうちには、多くの自棄《やけ》の気味、自棄と言わないまでも、全くの失望をわざと冷淡に言ってのける頼りない心持を、兵馬にあっても見て取れないというわけではありません。
「悪く取ってはなりませぬ、能登守殿のお身の上を推量すると、拙者にはお気の毒でお気の毒で、どうも立入って強いことが言えない」
兵馬はお君を慰めようとして、能登守の身の上に同情を向けさせようとしました。しかしお君は、やはり冷やかな態度を変えるのではありません。
「どう致しまして、わたくしが殿様のお心持を、よからぬように御推量申し上げるなぞと、そのようなことがありますものか、どうか御無事で洋行をしておいであそばすように、蔭ながら祈るばかりでございまする、この下され物もその心で有難く頂戴致しまする」
今まで手にも触れなかった袋入りの物と、帛紗包《ふくさづつ》みの二品を手に取って、お君は懇《ねんご》ろに推しいただきました。
兵馬はなお何か言いたいと思ったけれども、何も言うことがないのに苦しみました。それは余りにお君の態度が神妙であったからであります。余りによく解り過ぎてしまったために、兵馬は何を言ってよいかわからなくなりました。
「宇津木様、もう夜も更けました、どうぞお休み下さいませ。わたくしも疲れました、御免を蒙りとうございまする」
お君は二品を膝に置いて、言葉丁寧に言いましたけれど、兵馬にはそれが、いつものようでなく、冷たい針が含まれているように思われてなりません。さりとて、なんともその上に加えねばならぬ言葉はないので、
「しからば余談は明日のこと、御免を蒙りましょう」
なんとなく物のはさまったような心持で、兵馬は己《おの》れの部屋へ帰って寝ようとしたけれども、まだなんとなく心がかりであります。
次の間の物音によく心を澄ましているらしかったが、何に驚いたか兵馬は、ガバと起《た》って隔ての襖《ふす
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