り我々が頂戴するようになるかも知れん」
「そんなことはあるまい」
 駒井甚三郎は微笑していました。
 この二人は前に言ったように、高島四郎太夫の門下に学んだ頃からのじっこんでありました。その故に地位だの勢力だのというものは頓着なしに、いつも会えばこうして、友達と同じような話をするのであります。
「思い切りのよいのに感心する、我々は西洋の学問と技術はエライと思うけれど、頭までそうする気にはなれぬ」
と言って南条は、この時はじめてらしく駒井甚三郎の刈り分けた仏蘭西《フランス》式の頭髪をながめました。
「ひと思いにこうしてしまった、洋式の蓮生坊《れんしょうぼう》かな」
 甚三郎は静かに、艶《つや》やかな髪の毛の分け目を額際《ひたいぎわ》から左へ撫でました。
「でも髷《まげ》を切り落す時は、多少は心細い思いがしたろうな」
「なんの……」
「そうだ、駒井君」
 南条はこの時になって、一つの要件を思い当ったらしく、
「君は一人で洋行するそうだけれど、君の周囲に当然起るべきさまざまの故障について、善後の処置が講じてあるのか。一身を避ければ、万事が納まるものと考えているわけでもなかろう」

         六

 南条と別れた宇津木兵馬は、王子の扇屋へ帰って来ました。扇屋の一間には、さきほどから兵馬の帰りを待ち兼ねている人があります。
 いったん尼の姿をしていたお君は、ここへ来ては、やはり艶《あで》やかな髪の毛を片はずしに結うて、綸子《りんず》の着物を着ていました。兵馬は刀をとってその前に坐り、
「まだお寝《やす》みにはなりませんでしたか」
「お前様のお帰りを待っておりました」
「それほどに御執心《ごしゅうしん》ゆえ、よいお返事を聞かせてお上げ申したいが……」
 兵馬の言葉が濁って、その様子が萎《しお》れるのを見たお君の面色《かおいろ》に不安があります。
「残念ながら、もはや、この御縁はお諦《あきら》めなさるよりほかはござらぬ」
と言いながら兵馬は、懐中から袋入りの物と帛紗包《ふくさづつ》みとを取り出して、
「これが、能登守殿より御身へお言葉の代り」
 その品をお君の眼の前へ置きました。その袋入りの物は短刀であり、帛紗包みは金子《きんす》であることが一目見てわかります。
「わたくしは、そのようなものをいただきに上ったのではござりませぬ」
 お君が恨めしそうにその二品をながめていま
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