うことを訝《いぶか》るもののようでありました。
「言ってしまいましょう、わたしは、たった今、米友さんに逢いましたよ」
「あの友さんに?」
「はい」
「どこで」
「ついそこで。この家のすぐ前の井戸のところに立っていました」
「あの人が、ここを訪ねて来ましたか。どうして、わたしのいることがわかったのでしょう。それでもよかった」
お君はホッと安心したように息をつきました。それでもよかったというのは、米友が自分を訪ねてここへ来てくれたものと信じているらしいのを、お松は寧ろ気の毒がるように、
「でも、ほんとうに、米友さんだか、どうだか知れませんけれど、わたしが見た目では全く、あの人に違いがありませんでした」
「では、あなたがお取次をして下すったのではないのでございますか、わたしを訪ねてあの人が来てくれたというわけではないのですか」
「どういうつもりですか、さっぱりわかりません、わたしがそれと気がついた時には、もうあの人は井戸側から見えなくなってしまったのでございますもの」
「それで、お前様に、なんとも言わずに行ってしまったのでございますか」
「わたしの方では、たしかに米友さんに違いないと思いましたけれど、向うでは、わたしの姿さえ見ないであちらを向いていました、はっと思う間にどこへ行ってしまったか、言葉をかける隙《ひま》もありませんでした」
「まあ、どうしたのでしょう」
「ほんとに、わたしも訝《おか》しいと思いましたから、もし何かの見損ないではないかと、あとで外へ出て近所の人に尋ねてみますと、いよいよ米友さんに違いないようでございますから、どうも合点がゆきませんの」
「あの人は、少し気象が変っているから、何か気に入らないことがあって行ってしまったのか知ら、もしや、他人の空似《そらに》というものではないかしら」
お君は打消してみたけれど、どうも打消し難い疑いが深くなります。
お君がこの家に預けられているということは、初めのうちは、出入りの人々は誰も知りませんでした。しかし、ここに永く食客のようになっている人々の間には、自然にそれが知れないでいるはずはありません。それらの人々の間にお君のことが問題となって、それとなく用事をかこつけてはお君を垣間見《かいまみ》ようとするようになりました。
食客とは言いながら、これらの連中は皆よき意味での一癖ある連中でしたから、そんなに無作法な
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