くまで高く吊《つる》し上げて、釣瓶《つるべ》を車へしっかりと噛ませておいて、その縄を伝って垂直線に井戸の底へ下って行きました。
こうして分けて書くと、その間に多少の時間があるようだけれど、その瞬間の米友の挙動は驚くべき敏捷なものでありました。首根ッ子へ結いつけていた風呂敷をかなぐり捨てた時は、井戸端を覗《のぞ》いた時、井戸端を覗いた時は、棒縞の仕立下ろしの着物を脱ぎ捨てて裸一貫になっていた時、裸一貫になっていた時は、釣縄を高く吊し上げた時、縄を高く吊し上げた時は、早や縦一文字に井戸の底へ下って行った時で、ほとんど目にも留まらない早業でありました。
近所の親たちが青くなって井戸側へ駆けつけ、それ梯子《はしご》よ縄よ、誰が下りろ、彼が下りろと騒いでいる時に、井戸の底から米友が大きな声で呼びました。
「大丈夫だ、子供は生きてる、生きてる、心配しずにその縄を手繰《たぐ》ってくれ」
この声で初めて、誰とも知らず助けに下りている者があるということがわかりました。これで近所の親方もおかみさんも総出で、エンヤラヤと井戸縄を手繰《たぐ》り上げると、芝居のセリ出しのように現われて来たのは、五ツばかりになる男の子を小脇にかかえた米友でありました。その子供は声を嗄《か》らして泣いていました。泣いていることが生命が無事であったことを証拠立てるのだから、その母親らしい女は駈け寄って、米友の手から奪うようにその子を抱き上げ、
「三公、まあお前、よく助かってくれたねえ、よく助かってくれたねえ」
ほんとに仕合せなことには、頬のところへ少しばかりきずが出来たばかりで、上手に落ちていましたから、多少、水は呑んでいたようだけれど、見るからに生命の無事は保証されるのであります。
「この井戸へ落ちて、よくまあ助かったねえ、ほんとに水天宮様の御利益《ごりやく》だろう」
附近の親たちはその無事であったことを賀するやら、自分の子供たちが危ないところで遊ぶのを叱るやら、井戸側はまるで鼎《かなえ》のわくような騒ぎになってしまいました。
「ほんとにこれこそ水天宮様の御利益だ」
いい面《つら》の皮《かわ》なのは米友であります。米友の背が低いから子供に見誤ったものか、或いはこの驚きに紛れて逆上《のぼせ》てしまったものか、誰ひとり米友にお礼を言うことに気がつきませんでした。そうしてやたらに水天宮様ばかりを讃《ほ》め
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