のこの御殿の上で、ある日、多くの来客がありました。この来客は決して前のような道庵をあてつけの会でもなんでもなく、ドチラかといえば今までの会合よりは、ずっと品もよく、珍らしくしめやかな会合でありました。
そこへ集まった者はみな名うての大尽連で、今日は主人が新たに手に入れた書画と茶器との拝見を兼ねての集まりでありました。やはり例の通り高楼をあけ放していたから、道庵の庭からは来客のすべての面《かお》までが見えるのであります。なにげなく庭へ出て薬草を乾していた道庵が、この体《てい》を見ると、
「占めた!」
薬草を抛《ほう》り出して飛び上り、
「国公、ならず者をみんな呼び集めて来い」
と命令しました。
ほどなく道庵の許へ集まったのは、ならず者ではなく、この近所に住んでいる道庵の子分連中で、それぞれ相当の職にありついている人々であります。
主人側では新たに手に入れた名物の自慢をし、来客側ではそれに批評を試みたりなどして鰡八御殿の上では、興がようやく酣《たけな》わになろうとする時に、隣家の道庵先生の屋敷の屋根上が遽《にわ》かに物騒がしくなりました。
主客一同が何事かと思って屋根の上を見た時分に、いつのまに用意しておいたものか、例の馬鹿囃子以来の櫓の上に、夥《おびただ》しい水鉄砲が筒口を揃えて、一様にこの御殿の座敷の上へ向けられてありました。
「これは」
と鰡八大尽の主客の面々が驚き呆《あき》れているところへ、櫓の上では、道庵が大将気取りでハタキを揮《ふる》って、
「ソーレ、うて、たちうちの構え!」
と号令を下しました。
その号令の下に、道庵の子分たちは、勢い込んで一斉射撃をはじめました。これは予《かね》て充分の用意がしてあったものと見えて、前列が一斉射撃をはじめると、手桶に水を汲んで井戸から梯子《はしご》、梯子から屋根と隙間もなく後部輸送がつづきました。これがために前列の水鉄砲は、更に弾丸の不足を感ずるということがなく、思い切って射撃をつづけることができました。水はさながら吐竜《とりゅう》の如き勢いで、鰡八御殿の広間の上へ走るのであります。
これは実に意外の狼藉《ろうぜき》でありました。せっかく極めて上品に集まった品評の会が、頭からこうして水をぶっかけられてしまいましたから、主客の狼狽は譬《たと》うるに物がないのであります。ズブ濡れになって畳の上を、辷《すべ》ったり
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