せんでした。鰡八に反抗したということだけでは、決して罪になるものではありません。ただその反抗の手段が、いささか常軌を逸しただけに、その筋でも、どうも見逃し難くなったものと見なければなりません。
 道庵先生の隣に鰡八大尽の妾宅があることは、廻り合せとは言いながら、どうしても一種の皮肉な社会現象であると見なければなりません。それで道庵が兄哥連《あにいれん》を狩催《かりもよお》して馬鹿囃子《ばかばやし》をはじめると、大尽の方では絶世の美人を集めたり、朝鮮の芝居を打ったりして人気を取るのであります。
 しかしながら道庵の方は、何を言うにも十八文の貧乏医者であります。鰡八の方は、ほとんど無限の金力を持っているのだから、ややもすれば圧倒され気味であることは、道庵にとって非常に同情をせねばならぬことであります。
 また一方では、大尽のお附の者共が、盛んに手を廻して、道庵のあたり近所の家屋敷を買いつぶすのであります。そうしてそれをドシドシ庭にしたり、御殿にしたりして、今は道庵の屋敷は三方からその土木の建築に取囲まれて、昼なお暗き有様となってしまいました。
 このごろでは、道庵は毎日毎日屋根の櫓《やぐら》の上へ上って、その有様を見て腹を立っていました。そのうちにも何かしかるべき方案を考えて、朝鮮芝居以来の鬱憤を晴らしてやろうと、寝た間もそれを忘れることではありませんでした。
 勝ち誇った鰡八側では、これであの貧乏医者を凹《へこ》ましたと思って、一同が溜飲を下げて当り祝などをして、その後は暫らく表立った張り合いがありませんでした。鰡八の方はそれで道庵が全く閉口したものと思い、事実において敵が降参してしまった以上は、それを追究がましいことをするのは大人気《おとなげ》ないと思ってそのままにし、近所へは甘酒だの餅だのをたくさんに配り物をしましたから、さすがは大尽だといって、住宅を買いつぶされた人たちも、あまり悪い心持をしませんでした。すべてにおいて大尽側のすることは、人気を取るのが上手でありました。
 焉《いずく》んぞ知らん。この間にあって道庵先生は臥薪嘗胆《がしんしょうたん》の思いをして、復讐の苦心をしていたのであります。
 夜な夜な例の櫓《やぐら》へ上っては、ひそかに天文を考え、地の理を吟味して、再挙の計画が、おさおさ怠りがありませんでした。
 それとは知らず鰡八大尽《ぼらはちだいじん》
前へ 次へ
全86ページ中66ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング