ました。
 この家は、主人の箱惣が殺されて以来、一家は四散し、親戚の者も天誅《てんちゅう》を怖れて近寄るものがありませんでしたから、町内で保管し、一時は宇治山田の米友が、その番人に頼まれて、槍を揮《ふる》って怪しい浪人を追ったことなどもありました。
 この家は何者によって買取られたか知れないが、持主がかわり修理が加えられると共に、そこに出入りするのは異種異様の人であることが、多少、近所のものの眼を引きました。身分あるらしい武士であり、或いは大名の奥に仕えるらしい女中であり、或いはまた諸国の商人のようなものまで集まりました。女房子供の類《たぐい》は一つも見えないで、これが主人と見えるのは、額《ひたい》に波を打つ大白髪《おおしらが》の老女でありました。
 この老女は、気軽におりおりは一人で外出することもあり、また若い女中をつれて外出することもあり、物々しく乗物で乗り出すこともありました。たしかに武家出の人であって、一見して女丈夫とも思われるくらいの権《けん》の高い老女であります。
 この老女の家には、前に言う通り絶えず食客がありました。その食客はまた武士であり、商人風の者であり、或いは労働者らしい身なりの者などもありました。けれど老女は来る者を拒《こば》むことなく、ことごとく自分の子供であるかの如く、その広い家を開放して彼等の出入りの自由に任せ、その窮した者には小遣銭《こづかいせん》までも与えてやっているようです。
 食客連は、また己《おの》れが屋敷に帰ったような気取りで、或いは黙々として勘考をしているものもあれば、或いは寄り集まって、腕を扼《やく》しながら当世のことを論じて夜を明かすものもありました。
 老女にとっては、それが大機嫌であるらしく、食客連の間で議論が決しない時は、老女のところへ持って出て、裁判を請うようなこともありました。
 こんなに多くの食客を絶えず世話している老女の手許には、別に幾人かの女中や下働きが置いてありました。しかし、その男女間の別はかなり厳しいもので、食客連の放言高談には寛大である老女も、それと女中部屋との交渉は鉄《くろがね》の関を置いて、何人《なんぴと》をも一歩もこの境を犯すことのないようにしてあることでもわかります。
 この老女が何者であろうということが、ようやく近所から町内の評判になる前に、その筋の注意を惹《ひ》かないわけにはゆきませ
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