見られることは心外でしょう。それですから米友は、よけいなお世話と言わぬばかりの面をして、大きな男を睨めました。
「猿を追っ払うには、力ずくではいけねえのでございますよ。初めての人は、この松明《たいまつ》がいちばんいいのでございますよ、松脂でもいいのでございますよ、猿は人間よりか火の方を怖がりますから、こうして火を持って歩くと、傍へ寄れねえのでございます。だからここを通る旅の人は、みんな松明を用心しているのでございますが、お前さんはそのことをお知りなさらねえから、それで猿がああして集まって来たのでございましょうよ」
「なるほど」
この説明を聞いて米友は、なるほどと合点《がてん》しました。これによって見れば猿が逃げたのは、自分の実力よりもこの大男の実力を怖れたからではなく、全く火を持っているのといないのとの相違で、人物の如何《いかん》にはかかわらないのだという保証がついたようなものだから、それで米友はいくらか安心しました。そうしてみると、このよい天気に松明をつけて来たということが必ずしも間抜けではなく、それを間抜けと見た自分の無智であるということを悟らないわけにはゆきませんでした。そう悟ってみると、この男がいま背中へ背負《しょ》って来た大きな石の地蔵尊に、大した重味があることに気がついて、どこから背負って来たか知らないが、ともかく、この石の地蔵尊を背中につけて、この難渋な峠を登りつめたものとすれば、この大男の力量の測り知るべからざることに、今となって舌を捲かないわけにはゆかないのであります。
「こりゃなにかえ、お前が、この地蔵様をなにかえ、下から背負い上げたのかえ」
「エエ、左様でございますよ」
「一人で背負い上げたのかえ」
「エヘヘ」
「うーん」
米友は唸《うな》って、その地蔵様と大男とを見比べました。米友は四尺足らずの精悍《せいかん》な小男であるのに、その男は牛のような大男で、それで年は自分と同じぐらいに見れば見られないこともないので、まだ前髪があるといえばあるのであります。
米友も、自分の力においては自負しているところがあるつもりだけれど、この地蔵様を背負って、この六里の嶮道を越えるということは、残念ながら覚束《おぼつか》ないことであります。第一、自分の身の丈が許さないのであります。それですから、
「うーん」
と唸って、大男の面《かお》を見つめていました。
「お前はなかなか力がある。それでなにかい、槍も使えるのかい」
「槍?」
大男は妙なことを言うと思って、米友の面《かお》を見ました。
「そうさ、力はあっても、槍を自由に使いこなすことはできないだろう」
「そんなことはできねえでございます、槍だの、剣術だのというものは、俺にはできねえでございます」
「そうだろう、こりゃなかなか生れつきなんだからな、力ばかりあったって、上手に使えるというわけのものでねえんだ」
力の分量においてこの大男に及ばないことを自覚しかけた米友は、技《わざ》において優れていることを自負しようとしているもののようであります。
「お前さんはこれからどっちへおいでなさるんだね」
大男は力や槍や剣術のことには取合わないで、米友のこれから行くべき方向をたずねるのでありました。
「俺《おい》らか、俺らはこれから江戸へ行こうというんだ」
「江戸へ。そうしてどっちからおいでなすったのだね」
「甲州から来たんだ」
「そうでございますか、それでは俺も、これから武州路を帰るのでございますから、一緒にお伴《とも》をして帰りましょう」
「そりゃ有難え」
「ホーイホイ」
「何だい、先からあの声は」
「猪《しし》が畑を荒すから、それを村方で追っ払っているのでござんすべえ」
この大男が、沢井の水車番の与八であることは申すまでもありませんです。
与八が背負って来たお地蔵様は、いつぞや東妙和尚が手ずから刻んだお地蔵様であることも、推察するに難くないことであります。
肥大なる与八と、短小なる米友が打連れて歩くところは、当人たちは至極無事のつもりだけれど、他目《よそめ》で見ればかなりの奇観を呈しているのでありました。与八の歩くのは牛のようでありましたけれども、しかも大股でありました。米友の走るのは二十日鼠のようであって、しかも跛足《びっこ》なのであります。与八を煙草入とすれば、米友はその根付のようなものであります。与八を三味線とすれば、米友はその撥《ばち》みたようなものです。もしまた与八をお供餅《そなえもち》とすれば、米友は団子みたようなものであります。与八を猪八戒《ちょはっかい》として、米友を孫悟空《そんごくう》に見立てることは、やや巧者な見立て方であるけれど、与八は八戒よりも大きく、米友は悟空よりも小さいくらいの比較でなければなりません。
「お前、江戸に親類があるって?」
悟空がたずねました。
「俺の親類は下谷にあるんでございます」
八戒が答える。
「下谷? 俺らもその下谷へ訪ねて行こうと思うんだが、下谷はどこだい」
悟空が再びたずねました。
「下谷は長者町というところなんでございますよ」
八戒は念入りに再び答える。
「おや、下谷の長者町。俺らのこれから尋ねて行こうというところもやっぱりその下谷の長者町なんだが」
「そうでございますか、お前さんもその長者町に親類がおありなさるんでございますか」
「親類というわけじゃねえんだけれども、ちっとばかり世話になった人があるんだ」
「そうでございますか。そうしてお前さんの訪ねておいでなさるお家の商売は何でございますね」
「商売は医者だ」
「おやおや、俺の親類もお医者さんでございますよ」
「何だって。お前も同じ町内の同じお医者さん、それで名は何というお医者さんだい」
「道庵先生」
「道庵先生だって」
「そうでございますよ」
「俺らの尋ねて行くのもその道庵先生の許《とこ》なんだ」
与八と米友とは偶然、その訪ねようとする目的の家を一つにしました。与八と米友はここで初対面のようでありましたけれど、実は初対面ではないのであります。
前に一度、対面は済んでいるのでありました。しかしその対面は与八もそれを知らず、米友もまたそれを知らないのであります。与八はその時に米友を日本人として見てはいませんでした。米友もまたその時の見物にこの人があったことは覚えているはずがありません。それを知るものは道庵先生ばかりであります。この両人は途中の話頭《わとう》によって、おたがいに行く先の暗合を奇なりとして驚きました。
それから山路を歩く間、二人の会話を聞いていると、かなり人間離れのした受け渡しがあるのであります。
七
恵林寺《えりんじ》の僧堂では、若い雲水たちが集って雑談に耽《ふけ》っておりました。彼等とても、真面目《まじめ》な経文や禅学の話ばかりはしていないのであります。夜になってこうして面《かお》を合せた時には、思い切って人間味のありそうな話に興を湧かすのであります。人間味というのは、なにも色恋の沙汰ばかりではないけれども、ここでは特にそうなるのであります。
厳粛な僧堂生活の反動というわけではない。彼等とても強健な身体《からだ》に青年の血を湛《たた》えているのですから、そんな話に興味を起すことは無理もないのであります。それも話に興味を起すだけでは満足ができないで、事実においてこれらの連中には、垣根を越えて寺の外へ迷い出すものが少なくないのであります。
そうして附近の遊廓や茶屋小屋へこっそりと遊びに行ったり、土地の女たちに通ったりする者がないではありません。それをする時に体《てい》よく組を別けて、一組は留守を守り、一組は垣根を越えて行くのでありました。こうして外へ迷い出して歩くものを、彼等の仲間で亡者《もうじゃ》と呼んでいました。
これらを取締るのは例の慢心和尚の役目であります。けれどもあの和尚は、弟子どもがこんな人間味を味わいはじめたのを、まだ知らない様子であります。或いは知っていてもこの和尚は、それを大目に見ているのかとも思われないではありません。或いはあの通り図々しい和尚のことだから、遣《や》れ遣れ、若いうちはウンと遣ってみるがいい、なんかと言って蔭で奨励しているのだかも知れません。しかし、苟《いやし》くも宗門の師家《しけ》としてそんなことがあろうはずはありません。たとえ若気《わかげ》の至りとは言いながら、雲水たちの一部に、こんな人間味が行われはじめたということを知った以上は、和尚として儼乎《げんこ》たる処置を取ることでありましょう。
この晩、右の若い雲水たちは、またも垣根を越えはじめました。垣根を越える時には、留守の当番に当った者が、垣根の下に立つのであります。外へ迷い出す者は、その留守の当番に当った者の肩を踏台にして、垣根を乗り越えることになっているのであります。もしその踏台の背が低い時には、肩でなく頭へ足を載せて乗り越えるのであります。今宵またその通りにして、五人の若い雲水が垣根を乗り越えました。踏台になった雲水は、明晩は自分の当番だということを楽しみにして帰り、その五人の者の寝床を、さも本物であるように拵《こしら》えておきました。そうして自分は蒲団《ふとん》の中に潜り込んで休みながら、こんなことを考えていました。
「このごろ、向岳寺の尼寺へ、素敵な別嬪《べっぴん》が来たとか来ないとか言って仲間の者共が騒いでいるが、ほんとに来たものだか来ないものだか、その辺はとんと疑問じゃ、よしよし明晩は行って、おれが見届けてやる、見届けたところで、どうしようというわけではない、俗人どものように張ってみようとか、振られて帰ろうとかいうような、そんなケチな了簡《りょうけん》で見届けに行くのではない、これも修業のためである、僧堂の中で慢心和尚の出鱈目《でたらめ》を聞いているばかりが修業ではない、和尚|来《きた》れば和尚、美人来れば美人……」
こんなことをひとりで考え込んで力んでいるとその時、オホンという咳が聞えました。この咳は確かに慢心和尚の咳でありました。それを聞いた若い雲水はハッとして、ひとり言の気焔と北叟笑《ほくそえ》みとが消えてしまいました。和尚来れば和尚……と言って力んではいたけれど、その咳の声だけで縮み上ったところを見ると、美人が来ればやっぱり魂を抜かれてしまうでありましょう。そこでこの雲水は気焔と独り笑いとをやめて、蒲団を頭から被《かぶ》っているうちに、昼の疲れでグッスリと寝込んでしまいます。
寝込んでしまってはいけないのです。実は迷い出した五人の亡者が戻るまで眠らないでいて、戻った合図を聞いた時には、また踏台として出て行かねばならぬ義務があるのであります。それを忘れて寝込んでしまいました。
かくとも知らず、迷い出でた五人の亡者は、立戻って来て垣根の外へ立ちました。
合図にトントンと垣根を叩くと案《あん》の定《じょう》、中からもトントンと垣根を叩いて答えます。
外にいた亡者は、仲間の者の肩を踏台にして中へ入ると、中にまた踏台が待ち構えています。
第一に乗り越えたものが、足を卸《おろ》して、中にいる踏台の肩を踏もうとして、勝手を間違えて頭を踏台にしてしまいました。これは間違ったと思ったけれども横着な心が出て、そのまま両足を頭へ載せてしまいました。下になった踏台はそれでも別に不平は言わないのであります。なぜならば明晩は、自分が同じようにして人の頭を踏台にすることができるのだから、鎌倉権五郎《かまくらごんごろう》のような野暮《やぼ》を言うものはありません。
しかし、この頭は踏台としてはあまりに円くありました。坊主の頭に円くないのは無いようなものだけれども、それにしてもあまりにまる過ぎたから、危なくツルツルと辷《すべ》りそうなのを、体《たい》を転じて辛《から》くも飛び下りました。
第二の亡者はそれでも幸いに肩を踏んで無事に入りました。第三のはまたツルツルした頭を踏台にして、第一と同じように危なく飛び下りました。そのほか、第四、第五も、肩を踏台にしたり頭を踏台にしたりして、ともかく迷い出
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