「お前はなかなか力がある。それでなにかい、槍も使えるのかい」
「槍?」
 大男は妙なことを言うと思って、米友の面《かお》を見ました。
「そうさ、力はあっても、槍を自由に使いこなすことはできないだろう」
「そんなことはできねえでございます、槍だの、剣術だのというものは、俺にはできねえでございます」
「そうだろう、こりゃなかなか生れつきなんだからな、力ばかりあったって、上手に使えるというわけのものでねえんだ」
 力の分量においてこの大男に及ばないことを自覚しかけた米友は、技《わざ》において優れていることを自負しようとしているもののようであります。
「お前さんはこれからどっちへおいでなさるんだね」
 大男は力や槍や剣術のことには取合わないで、米友のこれから行くべき方向をたずねるのでありました。
「俺《おい》らか、俺らはこれから江戸へ行こうというんだ」
「江戸へ。そうしてどっちからおいでなすったのだね」
「甲州から来たんだ」
「そうでございますか、それでは俺も、これから武州路を帰るのでございますから、一緒にお伴《とも》をして帰りましょう」
「そりゃ有難え」
「ホーイホイ」
「何だい、先からあの声は」
「猪《しし》が畑を荒すから、それを村方で追っ払っているのでござんすべえ」
 この大男が、沢井の水車番の与八であることは申すまでもありませんです。
 与八が背負って来たお地蔵様は、いつぞや東妙和尚が手ずから刻んだお地蔵様であることも、推察するに難くないことであります。
 肥大なる与八と、短小なる米友が打連れて歩くところは、当人たちは至極無事のつもりだけれど、他目《よそめ》で見ればかなりの奇観を呈しているのでありました。与八の歩くのは牛のようでありましたけれども、しかも大股でありました。米友の走るのは二十日鼠のようであって、しかも跛足《びっこ》なのであります。与八を煙草入とすれば、米友はその根付のようなものであります。与八を三味線とすれば、米友はその撥《ばち》みたようなものです。もしまた与八をお供餅《そなえもち》とすれば、米友は団子みたようなものであります。与八を猪八戒《ちょはっかい》として、米友を孫悟空《そんごくう》に見立てることは、やや巧者な見立て方であるけれど、与八は八戒よりも大きく、米友は悟空よりも小さいくらいの比較でなければなりません。
「お前、江戸に親類があるって?」
 悟空がたずねました。
「俺の親類は下谷にあるんでございます」
 八戒が答える。
「下谷? 俺らもその下谷へ訪ねて行こうと思うんだが、下谷はどこだい」
 悟空が再びたずねました。
「下谷は長者町というところなんでございますよ」
 八戒は念入りに再び答える。
「おや、下谷の長者町。俺らのこれから尋ねて行こうというところもやっぱりその下谷の長者町なんだが」
「そうでございますか、お前さんもその長者町に親類がおありなさるんでございますか」
「親類というわけじゃねえんだけれども、ちっとばかり世話になった人があるんだ」
「そうでございますか。そうしてお前さんの訪ねておいでなさるお家の商売は何でございますね」
「商売は医者だ」
「おやおや、俺の親類もお医者さんでございますよ」
「何だって。お前も同じ町内の同じお医者さん、それで名は何というお医者さんだい」
「道庵先生」
「道庵先生だって」
「そうでございますよ」
「俺らの尋ねて行くのもその道庵先生の許《とこ》なんだ」
 与八と米友とは偶然、その訪ねようとする目的の家を一つにしました。与八と米友はここで初対面のようでありましたけれど、実は初対面ではないのであります。
 前に一度、対面は済んでいるのでありました。しかしその対面は与八もそれを知らず、米友もまたそれを知らないのであります。与八はその時に米友を日本人として見てはいませんでした。米友もまたその時の見物にこの人があったことは覚えているはずがありません。それを知るものは道庵先生ばかりであります。この両人は途中の話頭《わとう》によって、おたがいに行く先の暗合を奇なりとして驚きました。
 それから山路を歩く間、二人の会話を聞いていると、かなり人間離れのした受け渡しがあるのであります。

         七

 恵林寺《えりんじ》の僧堂では、若い雲水たちが集って雑談に耽《ふけ》っておりました。彼等とても、真面目《まじめ》な経文や禅学の話ばかりはしていないのであります。夜になってこうして面《かお》を合せた時には、思い切って人間味のありそうな話に興を湧かすのであります。人間味というのは、なにも色恋の沙汰ばかりではないけれども、ここでは特にそうなるのであります。
 厳粛な僧堂生活の反動というわけではない。彼等とても強健な身体《からだ》に青年の血を湛《たた》えているのですから、そんな話に興
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