現わしていることを見て取らないわけにはゆきませんでした。
「この奴ら、俺《おい》らに手向えをするつもりだな。こん畜生」
正直な米友はまた、この猿どもの不遜な挙動を憎まないわけにはゆかないのであります。人の物を盗んでおきながら、その懲《こ》らしめを怖れずにかえって反抗し来《きた》るとは、身の程知らぬ猿どもだと思ってムキになりました。
それで米友は、抑えつけていた大猿の頭を、一つガンと食《くら》わせました。大猿はギューと言って息が絶えた様子であります。その時に猛《たけ》り立った群猿は、八方から一時に米友をめがけて飛びかかりました。
「猪口才《ちょこざい》な、こん畜生め」
米友はその大猿を片手で掴んで群猿の中へ投げ込んで、例の手慣れた杖槍を押取《おっと》りました。
「こいつら!」
その杖槍を縦横に打振ると、猿どもはバタバタとひっくり返ったり飛び散ったりするが、直ぐにまたその後から後から後詰《ごづめ》が出で来るのであります。或る者は木の上へ登ってそこから木の枝を投げおろしました。或る者は妙見の社や作事小屋へ登って石ころの雨を降らせました。米友はその杖槍をりゅうりゅうと揮《ふる》って、その傍へ猿どもを寄せつけないのであったけれど、この騒ぎと猿どもの絶叫を聞いて、附近の山々谷々から続々と集まって来る猿の数の夥《おびただ》しいことと、その面色《めんしょく》の穏かならぬことにはいよいよ驚かないわけにはゆかないのであります。
「こうなりゃ、一匹残らず突殺してやるから覚えていやがれ」
米友はとうとうその杖槍に、しかと穂先を穿《は》めました。それを下段に構えて、当るところのものを幸い、一匹残らず槍玉に揚げて、峠の谷を埋めてやろうと決心しました。
多勢を恃《たの》む猿どもはいよいよ驕慢《きょうまん》でありました。けれど怜悧《れいり》な彼等は、いつも相手の実力を見るのに鋭敏でありました。ですから米友はギラギラ光る穂先を杖の先にすげて、一匹残らずという手強い決心をしたのを見て取って、急いで木の上や、堂の上や、作事小屋の上へ飛び上り、そこから眼を丸くし、歯を剥き出して、米友を睨めてキャッキャッと叫んでいます。
満山の猿は、米友一人を遠巻きに押取囲《おっとりかこ》んでしまいました。
米友が少しでも隙を見せれば、彼等は一度にドッと押包んで、取って食おうというような形勢であります。
単身を以てすれば猿に劣らぬ俊敏な米友も、こう多数を相手にしては、ドレを目当に懲《こ》らしていいか、わからないのであります。それで米友は歯噛《はが》みをしました。
かわいそうに米友も、畜類を相手にして立竦《たちすく》んでしまわねばならなくなりました。
この時、どこからともなく、
「ホーイホイ」
という声。猿どもがキャッキャッと言っている中で、その声は、はじめは米友の耳へ入りませんでした。つづいて、
「ホーイホイ」
という声。それが耳に入ったのは米友より先に、米友を取囲んだ猿どもであります。
「ホーイホイ」
その時に、米友も風の声かと思いました。
「ホーイホイ」
人間の声であることは紛れもないのであります。人ならば二三十人の声でありましょう。それが何人《なにびと》であって何のためにする声だかわかりません。こちらへ来る人の声であるか、またはどこかへ一団《ひとかたま》りになっている人々の声であるかもよくわかりませんでしたが、
「ホーイホイ」
という声がようやく聞え出して来た時に猿どもが、遽《にわ》かにどよめき出したことがよくわかります。
米友の気象としては、敢《あえ》てこの猿どもを相手に取ることにおいて、人の加勢を願おうとは思わないのであります。それだから人の声がしたからとて、それに助けを得たとは思われたくないのであります。人が来ようが来まいが、こうなった上は一匹残らずこの傲慢不遜《ごうまんふそん》な猿どもを退治てやらなければ、虫がおさまらないと思っているのであります。ただどこから形《かた》をつけていいか、余りにその数が多いことによって、戸惑いをしているのに過ぎないのでありました。
「ホーイホイ」
その声は相変らず、遠くもなく近くもなく、纏《まと》まって響いて来るのであります。猿どもは米友を睨めると共に、しきりにその声のする方を気にしているようです。
そのうちにどうしたものか、猿どもの陣形が忽ち崩れ出しました。ひとたび陣形が崩れ出すと共に、畜生の浅ましさであろう、今までの擬勢が一時に摧《くだ》けて、我勝ちに逃げ出しはじめました。その崩れたのと逃げ足との、あまりに慌《あわただ》しいのは、米友をして呆気《あっけ》に取らせるほどでありました。
「ホーイホイ」
その声が敢て近寄ったというわけでもありませんのに。だから米友も少しく拍子抜けの体《てい》でいた時分に、やや
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