、話し相手のお伽《とぎ》にするようなあんばいで、
「お前は、まだ知るまいが、あの駒井様という殿様のお家は、近いうちに潰《つぶ》れます、いま甲府では飛ぶ鳥を落すほどの御支配様だけれど、遠からず、お家をつぶされて、お預けになるか、または御切腹……これはまだ内密のことだから誰にも話してはなりませぬ……そうなるとこちらの殿様が、そのあとをついで御支配に御出世なさるようにきまっている、だからお前も、そのつもりで、うちの殿様のお面《かお》にかかるようなことをしてはなりませぬ、まあ、じっとして、もう暫らく見ておいで」
と言っているお絹は、何か企《たくら》むことがあって、やがてそれが成就《じょうじゅ》した時を楽しみにしているように見えます。その企みというのは、駒井家に、何か重大な変事が出来るだろうとの暗示で推察することができます。今いう通り、遠からずお家を取りつぶされて、その上に殿様がお預けになるか、または御切腹になるかというほどの大事、お松は、いよいよ胸がつぶれる思いで、この風聞の裏には権力を争う嫉《ねた》みや罠《わな》が幾つも幾つもあって、駒井の殿様はうまうまとその罠にかかって知らずにおいでなさるということを、お気の毒に思わないわけにはゆきませんでした。それもあるけれど、差当ってもっと痛切にお松は、外へ出て見なければならない必要が迫っております。ところがお師匠様なる人は相変らず、お松を話し相手のつもりにして、べんべんと話を繰り出し、座を立たせないのであります。
「男も女も身分の低い者を相手にしてはなりませぬ。駒井の殿様などは、あの通り男ぶりはお立派であるし、学問はおありなさるし、人品はお高いし、これから若年寄、御老中とどこまで御出世なさるやら知れないお方でいらっしゃるのに、あろうことか身分違いの女を御寵愛になったために、あたら一生を廃《すた》り物《もの》にしておしまいなされた、ほんとにお気の毒ともなんとも申し上げようがありませぬ。とは言え、これも身から出た錆《さび》で、誰をお怨み申そう様もない。お家には堂上方からおいでになった立派な奥方様を持ちながら、あんな女芸人上りの身分違いの女へお手をかけられたために、御身の上ばかりか、死んだ後までも、御先祖へまでも、恥を与えるようなことになってしまいました。それにつけてもお前なども、仕合せに堅くて結構だけれども、間違いのないうちに何とかして上げたいと、わたしは常々それを思っています。それ故、今の殿様のお側へはなるたけお前を上げないようにしてあるけれども、いつまでもそうしておられるものではない、わたしもいろいろとお前の身の上を考えているうちに、あの御支配の上席の太田筑前守様の奥方が、お前をお側に欲しいとこうおっしゃるから、わたしはどうしようか、今お前を呼んだのは、そのことを相談してみたいから……」
ようやくここへ来て、お松を呼び寄せた相談の緒《いとぐち》が開かれたのでありました。お松はそれどころではないのであります。お松がソワソワとするのを、これは駒井の邸へ密《そっ》と行きたいからであろうと見て取ったお絹は、わざと話を長くして、意見のような、教誡のような、お為ごかしのようなことを言って、お松に席を立たせまいとするのであります。
お松は針の莚《むしろ》に坐っているようにして、それを聞かされているけれども、てんで耳へは入りません。ようやくお絹の相談というのが済んで、お松は解放されました。お辞儀をソコソコにして帰って見ると、ムク犬はまだ待っていました。そのムクを先に立てて、お松は裏門から走り出でて見ました。けれどもその時分には、もう宇津木兵馬の姿をいずれのところでも見ることができないで、町の門々や辻々に集まった多くの人が、
「また出た、また出た」
と噪《さわ》いで、お城の方をながめているのを見ました。
お松はその人出のなかを、あれかこれかと尋ね廻りましたけれど、とうとう兵馬の姿を発見することが出来ないので、失望し、ムクを先に立てて、今も行ってならぬと差止められた駒井能登守の邸の方へ、知らず知らず足が向いて行きました。
その間も例の人出は、
「それ出た、また出た」
とお城の方をながめながら罵《ののし》り噪いでいます。これは今宵に限ったことではない、町の人はこの二三日の晩のある一定の時刻になると、こうして門並《かどなみ》に立って、
「それ出た、それ出た」
というのであります。
何が出たのかと言えば、真紅《まっか》な提灯《ちょうちん》がたった一つ、お城の天守の屋根の天辺《てっぺん》でクルクル廻っているのであります。大方、提灯だろうと思われるけれども、それとも天狗様の玉子かも知れない。もし提灯だとすれば、それを持って、あの高いところまで上る人がなければならぬ。そんなことは誰にだって出来るはずではないのであ
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