の咽喉が乾き過ぎていたせいか知らないが、ともかく、米友としては少し飲み過ぎた傾きがないではありません。
胡麻のついた握飯は、まだあとに二個残っているのであります。それだのに水は早や尽きてしまいました。それは米友でなくても、山路を旅して腹の減った時分に、握飯を噛《かじ》るほどおいしい[#「おいしい」に傍点]ものはおそらくこの世になかろうはずのものであります。まして小兵《こひょう》ながら健啖《けんたん》な米友が、この場合に五箇《いつつ》の握飯を三箇《みっつ》だけ食べて、あとを残すというようなことがあろうとも思われませんのです。けれども水は尽きてしまいました。
「ちょッ、水がなくなってしまやがった」
しばらく思案していた米友は、さいぜん登って来る路のつい近いところで、水の流れる音を聞いたことを思い出しました。それを思い出すと竹筒を取り上げて、杖なしで、さっさと峠道を少しばかり下りて行きました。それは竹筒へ水を汲まんがためであることは察するまでもありません。
この小説の、いちばん最初の時に、巡礼の姿であったお松という少女が、これと同じようなことを、これと同じところで繰返していたのであります。その時の少女は、老人の巡礼につれられていましたけれど、今の米友はたった一人であることと、その時のお松は瓢箪《ひょうたん》へ水を汲みに行ったけれど、今の米友は竹筒を持って行ったことが、違えば違うようなものです。
曾《かつ》てお松が、この下の黄金沢《こがねざわ》の清水を瓢箪に満たして、欣々として帰って来たその間に、連れの老巡礼は見るも無惨な最期《さいご》を遂げていました。
それらの出来事は、いっこう米友の知ったことではありません。米友もまた、期せずして前にお松が汲んだろうと思われるあたりの沢の清水を竹筒に満たして、欣々として、もとのところへ帰って来たけれど、そこにはなんらの意外な変事も起っていた模様も見えません。
「おや」
なんらの変事もないと思ったのは、米友がこの峠を初めての旅人であったからであります。竹筒を持って作事小屋の中へ入った時までは気がつかなかったけれど、そこへ来て見ると、今の米友にとってはかなり重大な変事が起っていることを知りました。
「握飯《むすび》がねえや」
五箇《いつつ》の握飯のうち三箇を食べてしまって、あと二箇を残しておいたことは紛れもなき事実であります。
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