と、それらの恋の恨みであろうということに一致すると、青年たちはいずれも痛くない腹を探られる思いをして、恐怖と無気味と復讐心とに駈られて、村の中は不安の雲が弥《いや》が上に捲き起ります。
小泉の家は名主《なぬし》でありますから、何者よりも先にそこへ駈けつけて、その処分に骨を折らなければなりません。
主人の妻はお銀様に向って、
「まあ、当分は夜分など、外へおいでなさることではありませぬ」
と言いました。
その出来事の物語を聞いたお銀様は胸を打たれました。
その時に机竜之助は、眠っているのかどうか知らないが横になっていました。
お銀様は行燈の下の机によって、忙《せわ》しく昨晩こしらえた横綴の帳面を繰りひろげて見ました。
「もし、あなた」
お銀様は机竜之助の面《おもて》を睨《にら》んで、
「もし、あなた」
二度まで竜之助を呼びました。
「何だ」
竜之助は懶《ものう》げな返事をします。
「あなたは昨晩《ゆうべ》どこへおいでになりました、もしやあの向うの水車小屋の方へおいでになりはしませんか」
「水車小屋の方へ行った」
「そうしてそこで何をなさいました」
「そこで何もしない」
「何かごらんになりはしませんでしたか」
「別に何も……見ようと思っても見えはせぬわい」
「あの十八になる村の娘さんと、道で行きあうようなことはありませんでしたろうね」
「はははは」
竜之助は笑いました。何の意味ある笑い方であったか、お銀様には少しもわかりませんでした。
「ああ怖ろしい」
お銀様は総身《そうみ》へ水をかけられたようになりました。
竜之助はクルリと背を向けて返事をしませんでした。
お銀様は怖ろしい形相《ぎょうそう》をして、寝返りを打った竜之助の後ろ姿と、それから、自分が昨夜、怪しみながらも竜之助に言いつけられた通りを書いた帳面を見比べていましたが、やがて、荒々しく立って竜之助を揺《ゆ》り起して、その帳面を見えない眼先へ突きつけて、
「左の乳の下……かわいそうに、罪もない村の娘さんの左の乳の下を抉《えぐ》って殺して、お濠《ほり》とやらへ投げ込んだのはあなたでございましょう、ナゼあなたは、そのようなことをなさいました、そのようなことをしなければならないというのはどうしたわけでございます、そうしておいて帰って来て、わたしにこの帳面を書かせようとは、そりゃまあ何という仕様でござ
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