思ひきりて掛るほかには別の仔細候はず。」
[#ここで字下げ終わり]
こんなことが木版摺《もくはんずり》にしてあるのだから、問題にもなんにもなったものではありません。
四
お松が寝ついた時分からサラサラと雪が降りはじめました。
翌朝になって見ると、峡中の二十五万石が雪で埋もれてしまいました。過ぐる夜の靄《もや》は墨と胡粉《ごふん》を以て天地を塗りつぶしたのですけれど、これは真白々《まっしろじろ》に乾坤《けんこん》を白殺《はくさつ》して、丸竜空《がんりゅうくう》に蟠《わだか》まる有様でありました。昨夜からかけて小歇《こや》みなく降っていたのが朝になって一層の威勢を加えました。東へ向いても笹子や大菩薩の峰を見ることができません。西へ向って白根連山の形も眼には入りません。南は富士の山、北は金峰山、名にし負う甲斐の国の四方を囲む山また山の姿を一つも見ることはできないので、ただ霏々《ひひ》として降り、繽紛《ひんぷん》として舞う雪花《せっか》を見るのみであります。
白いものの極は畢竟《ひっきょう》、黒いものと同じ作用《はたらき》を為すものです。大雪の時は暗夜の時と同じように咫尺《しせき》を弁ぜぬことになります。この降り塩梅《あんばい》では大雪になると、誰もそう思わぬものはありません。
この朝、駒井能登守の門内からこの雪を冒《おか》して一隊の人が外へ出ました。一隊の人といっては少し大袈裟《おおげさ》かも知れないが、その打扮《いでたち》の尋常でないことを見れば、一隊の人と言いたくなるのであります。
人数は僅か四人――そのうち三人は笠を被って合羽《かっぱ》を着ていました。三人の中の一人はまさに主人の能登守でありました。その左右にいた二人は、家来の者らしくもあるし、家来ではないらしくもあるし、と言うまでもなくその一人は南条――能登守に亘理《わたり》と呼ばれて旧友のような扱いを受けた人――それから、も一人は五十嵐と呼ばれた人、つまりこの二人は過ぐる夜の破牢者の巨魁《きょかい》なのであります。こうして笠を被って合羽を着て、大小を差して並んでみれば、それは物騒な破牢者とは誰にも気取《けど》られることではありません。
能登守を真中にして二人が左右を挟んで行けば、誰が見てもその用人であり家来衆であることの異議はないのであります。ただこの大雪に能登守の身分として馬駕籠の助けを仮《か》らず、笠と合羽と草鞋《わらじ》で出かけることが、勇ましいと言えば勇ましい、気軽といえば気軽、また例の好奇《ものずき》かと笑えば笑うのでありましたが、それとても、すぐに三人の後に附添うた一人のお伴《とも》の有様を見れば、ははあなるほどと納得《なっとく》ができるのであります。
そのお伴は鉄砲を担《かつ》いで、弾薬袋を肩から筋違《すじかい》に提《さ》げておりました。能登守はこうして今、家来とお伴とをつれて雪に乗じて、得意の鉄砲を試そうとするものと見えます。そうすればなるほど能登守らしい雪見だと、誰もいよいよ異議のないところでありましたけれど、その鉄砲を担いで弾薬袋を提げたお伴《とも》なるものが、尋常一様のお伴でないことを知っていると、また別種な興味が湧いて来なければならないのであります。
その伴は宇治山田の米友でありました。前に立った三人ともに合羽を着ていましたけれど、米友だけは蓑《みの》を着ていました。三人は脚絆《きゃはん》と草鞋に足を固めていましたけれど、米友だけは素足でありました。三人は大小を差していましたけれど、米友は無腰《むこし》でありました。
さて、勢いよく門の外へ飛び出した三人は、卍巴《まんじともえ》と降る雪を刎《は》ね返してサッサと濶歩しましたけれども、米友は跛足《びっこ》の足を引摺って出かけました。
「米友」
能登守が振返って呼ぶと、
「何だ」
米友は傲然《ごうぜん》たる返事であります。
「冷たくはないか」
能登守も南条も五十嵐も、歩みながら振返って、米友の素足を見ました。
「はッはッはッ」
米友は嘲笑《あざわら》って、かえって自分に同情を寄せる先生たちの足許を見ました。この一行は勢いよく雪を冒して進んで行きます。どこへ行くのだか知れないけれども、たしかに荒川筋をめあてに行くものと見えました。
前に言う通り天地はみんな雪であります。往来の人の気配《けはい》は極めて少なくあります。犬の子は威勢よく遊んでいました。たまに通りかかる人も、前に言うような見当から、誰も一行を怪しむものはありません。その中の一人が能登守であるということすらも気のついたものはありません。
その同じ朝、神尾主膳は朝寝をしておりました。この人の朝寝は今に始まったことではないけれども、この朝は特別によく寝ていました。それは昨夜の夜更《よふか》しのせいもあったろうし、外はこの雪でもあるし、こうして寝かしておけばいつまで寝ているかわかりません。その神尾主膳が急に朝寝の夢を破られたのは、能登守の一行がその屋敷を出るとほとんど同時でありました。取次の言葉を聞いてこの無精者《ぶしょうもの》がガバと刎《は》ね起きたところを見ると、それは主膳の耳にかなりの大事と響いたものと見えます。
「よし、早速ここへ通せ」
起き上らないうちからこう言ったところを見ても、いよいよ大事の注進を齎《もたら》したものがあることはたしかです。
まもなく、主膳の寝間へ通されたものは役割の市五郎でした。
「神尾の殿様、逃げました、逃げました、いよいよ逃げ出しましたよ」
「どっちへ逃げた」
「代官町から荒川の筋、たしかに身延街道でございましょう。野郎共を三人ばかり、後を追っかけさせておきましたから、行方《ゆくえ》を突留める分にはなんでもございませんが、いざという時、野郎共では……」
「よし、後詰《ごづめ》はこちらでする。市五郎、其方《そのほう》大儀でも分部《わけべ》、山口、池野、増田へ沙汰をしてくれ、急いで鷹狩《たかがり》を催すと言ってここへ集まるように。表面《うわべ》は鷹狩だがこの鷹狩は火事よりせわしい」
「委細、承知致しました、それでは御免」
市五郎はそこそこに辞して出かけました。それから後の神尾主膳の挙動は気忙しいもので、面《かお》を洗う、着物を着替える、家来を呼ぶ、配下の同心と小人《こびと》とを呼びにやる、女中を叱る、小者《こもの》を罵る。主膳がやっと衣服を改めてしまった時分に、この屋敷の門内へは、もう多くの人が集まりました。
「おお、おのおの方、大儀大儀、市五郎からお聞きでもござろう、近ごろ珍らしい鷹狩、獲物《えもの》に手ごたえがありそうじゃ」
「神尾殿の仰せの通り、近頃の雪見、それゆえ取る物も取り敢えず馳せつけて参った」
「さあ、同勢揃うたら、一刻も早く」
「かけ鳥の落ちて行く先は身延街道」
なるほど鷹狩には違いなかろうが、鷹狩にしては、あんまり慌《あわただ》しい鷹狩であります。これらの同勢十八人は、雪を蹴立てて驀然《まっしぐら》に代官町の通りから荒川筋、身延街道をめがけて飛んで行きました。
神尾主膳だけは残って、彼等の出て行く後ろ影を見送っていましたが、
「酒だ、前祝いの雪見酒」
神尾主膳はそれから酒を飲みはじめたが、雪見の酒よりか、何か心祝いの酒のように見えました。飲んでいるうちに、ようやくいい心持になって、
「おい、雪見だ、雪見だ、せっかくの雪をこんなところで飲んでいては面白くない、これから躑躅《つつじ》ケ崎《さき》へ雪見に出かける、誰か二人ばかり行ってその用意をしておけ、下屋敷の二階の間を掃除して、火を盛んに熾《おこ》して酒を温め、あっさりとした席をこしらえておけ」
と命令し、
「さあ、これから躑躅ケ崎へ出かける。歩いて行くとも。いざさらば雪見に転ぶところまでも古いが、この雪見に歩かないで何とする。伴《とも》は一人でよろしい、仲間《ちゅうげん》一人でよろしい。長合羽の用意と、傘履物」
主膳は立ち上って、
「刀……」
と言って、よろよろとした足許を踏み締めると、女中が常の差料《さしりょう》を取って恭《うやうや》しく差出しました。
「これではない、あちらのを出せ」
床の間の刀架《かたなかけ》に縦に飾ってある梨子地《なしじ》の鞘《さや》の長い刀を指しました。
「うむ、それだ」
梨子地の鞘の長い刀を大事に取下ろして主人へ捧げると、主膳はそれを受取って、
「これが伯耆《ほうき》の安綱だ」
言わでものことを女中に向ってまで口走るのは、酒がようやく廻ったからであります。
伯耆の安綱――してみればこの刀はこれ、有野村の藤原家の伝来の宝、それを幸内の手から捲き上げて、今はこうして拵《こしら》えをかえて、自家の秘蔵にしてしまったものと見るよりほかはないのであります。
五
神尾主膳は酒の勢いで、この雪の中を躑躅《つつじ》ケ崎《さき》の古屋敷まで歩いて行きました。
そこへ辿《たど》りついて見ると、さいぜん言いつけておいた通りに、二階の一間が綺麗《きれい》に掃除されて、そこでまた一盞《いっさん》を傾けるように準備が整うていました。三ツ組の朱塗の盃が物々しく飾られてありました。
この躑躅ケ崎の古屋敷というのは、武田の時分には甲坂弾正と穴山梅雪との屋敷址であったということです。昔は鶴ケ崎と言い、今は躑躅ケ崎という山の尾根が左手の方にズッと突き出ています。それと向って家は東南に向いていました。この家はなかなか大きなもので、ずっと前に勤番の支配であった旗本がこしらえて、その後は長く空家同様になっていたのを神尾主膳が、何かの縁で無償《ただ》のように自分のものにしたのです。
いま、主膳が坐っている二階の一間は、雪見には誂向《あつらえむ》きの一間で、前に言った躑躅ケ崎の出鼻から左は高山につづき、右は甲府へ開けて、常ならば富士の山が呼べば答えるほどに見えるところであります。
「あの男はよく寝ている、あまりよく寝ている故、起すのも気の毒じゃ、眼が醒《さ》めてから呼ぶとしよう」
主膳はこう言って、三ツ組の朱塗の盃をこわして、一人で飲み始めました。一人で飲みながらの雪見です。雪見といっても、眼の下の広い庭の中に池があって、その池の傍に巨大なる松の木が枝を拡げています。この松を「馬場の松」と人が呼んでいましたのは、おそらく同じ武田の時代に馬場美濃守の屋敷がその辺にあったから、それで誰言うとなく馬場の松という名がついたのでありましょう。この馬場の松に積る雪だけでも、一人で見るには惜しいほどの面白いものがあります。しかし、主膳はそれほどに風流人ではありません。馬場の松の雪を見んがために、ワザワザここへ飲み直しに来たものとも思われません。
主膳が一人でグイグイ飲んでいると、時々下男が梯子《はしご》から首を出して怖《おそ》る怖る御用を伺いに来るのみであります。
「あの男は、まだ眼が覚めないか、起しに行ってやろうかな、しかし炬燵《こたつ》へ入ってああして熟睡しているところを叩き起すも気の毒じゃ、疲れて昼は休んでいる」
主膳があの男というのは、ここの屋敷に籠《こも》っているはずの机竜之助のことでありましょう。竜之助を相手に雪見をしようと思って来たところが、その竜之助はいま眠っているものと見えます。
主膳はこんな独言《ひとりごと》を言っているうちに、立てつづけに呷《あお》りました。浴びるように飲みました。気がようやく荒くなりました。
「うむ、うむ、この刀、この刀」
と言って主膳は、やや遠く離して置いてあった例の梨子地の鞘の長い刀の下《さ》げ緒《お》を手繰《たぐ》って身近く引寄せて、鞘の鐺《こじり》をトンと畳へ突き立てて、朧銀《ろうぎん》に高彫《たかぼり》した松に鷹の縁頭《ふちがしら》のあたりに眼を据えました。
「この刀を試《ため》すことをいやがる机竜之助の気が知れぬ、と言って拙者の腕で試してみようという気にもならぬ」
その途端になんと思ったのか、神尾主膳の眼中が遽《にわ》かに血走って、
「お銀、お銀、お銀どの」
声高く、そうして物狂わしく呼びつづけました。
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