して、筑前守の奥方からの贈り物を受けました。
とにかく、こうして贈り物を受けてみると、その返しに苦心しないわけにはゆきません。こんな苦心はお君にとっても、女中たちにとってもいやな苦心であります。
仕方がなしに、使をワザワザ邸まで飛ばせて、筑前守の奥方から贈られたのと同じようなものを調えて、それを老女に持たせてやりました。
老女が帰って来ると、隣席ではヒソヒソと囁き合って、やがてドッと笑う声がしました。それがかなり意地悪いことにお君の方の胸に響きます。
それが済むと、やがて隣席から二度目の交渉がありました。前の女中がやって来ての口上には、おたがいにこうして窮屈に見物をするよりは、いっそ、この隔ての屏風を取払って、仲よくお附合いをしながら見物しようではないかとの交渉でありました。
こちらの老女は、これを聞いてまた当惑して、主人のお君の方の面《おもて》を仰ぐと、お君の方もまた同じ思いでありました。
「せっかくではござりますれど、手前共はみんな無調法者《ぶちょうほうもの》ばかり故、もし失礼がござりましては」
という意味で、老女は程よくその交渉を断わりました。
筑前守の奥方の方でもそれを押してとは言わないで、左様ならばと言ってひきさがりました。お君は、かさねがさねそれが不安でたまりません。隣席のすることはどうしても意地が悪い――もしその中に自分の素性《すじょう》を知った者があっての上ですることではなかろうか。そうだとすれば自分がここにいる以上は、何かの形でその意地悪が続くに違いない。それもあるけれども、またこの多数の見物席の中には、自分をそれと感づいている者はないだろうか――姿と形こそ変っているけれども、この土地へ来て女軽業の一座で踊ったこともある。それを思うとお君は、座に堪えられないほどに不安に感ずるのであります。
こんなことなら来ない方がよかったのにと思いました。しかし来てみれば、いまさら帰るわけにはゆきません。自分が帰ると言い出せば、せっかく興に乗った連れの女中たちを失望させなければならないことを思えば、お君は、じっと針の莚《むしろ》のようなこの席に辛抱しているよりほかはないのであります。
「お君様」
と名を呼んで訪れた者がありましたから、お君は頭を上げて見ると、それはお松でありましたから、
「お松様」
お君はここでお松を得たことを、百万の味方を得たほどに喜びました。
「お君様、ここで拝見させていただいてよろしうございますか」
「よいどころではございませぬ、さあさあこちらへ」
お松はお君のいるところへ訪ねて、一緒に見物をさせてもらいに来たのは、お君の方《かた》にとってはかえって願ったり叶ったりの喜びでありました。お君は嬉しがって、お松に半座を分けて与えます。
お君の方について来た女中たちもまた、喜んでこのお客を待遇《もてな》しました。前の筑前守の使の者とは打って変って、打解けた気持でこの若いお客を待遇《もてな》すことができました。
お松もまた、ほかに席があったのだろうけれども、わざわざここをたずねて見物を同じにさせてもらいたいほど、ここへ来るのを喜んでいました。
お君と並ぶようにして席を取って、馬場の人出を見渡したお松は、桟敷の方に目を注いでいるうちに何かに驚かされて、ただならぬ色を現わし、
「お君様、この御簾《みす》を少し下げようではありませんか」
総《ふさ》で絞った幕の背後に御簾を高く捲き上げられてあったのを、お君は今まで気がつきませんでした。
ちょうどその時に、相図の花火が揚りました。今日はこれから、今までに見られなかった流鏑馬《やぶさめ》がはじまるのであります。
花火の相図と共に、立烏帽子《たてえぼし》に緑色の直垂《ひたたれ》を着て、太刀を佩《は》いた二人の世話係が東から出て来ました。西の方からは紅の直垂を着て、同じく太刀を佩いた二人の世話係が出て来ました。この四人の世話係が馬場の本と末とに並んだ時――馬見所《ばけんじょ》も桟敷も大入場も一同に鳴りを静めました。
御簾を下ろそうとしたお松も思わずその手を控えて立ちながら、多くの人と共に馬場の東の方をながめます。
十六人の射手《いて》が今そこから馬場の中へ乗り込む光景は、綾錦《あやにしき》に花を散らしたような美しさであります。その十六人は、いずれも優《みや》びたる鎧《よろい》直垂《ひたたれ》を着ていました。それに花やかな弓小手《ゆごて》、太刀を佩き短刀を差して頭に綾藺笠《あやいがさ》、腰には夏毛の行縢《むかばき》、背には逆顔《さかづら》の箙《えびら》、手には覚えの弓、太く逞《たくま》しい馬を曳《ひ》かせて、それに介添《かいぞえ》を一人と弓持一人と的持を三人ずつ引具《ひきぐ》して、徐々《しずしず》と南の隅へ歩み出でたのであります。
「お松様、そうしてお置きあそばせ、御簾が無い方がよろしいではございませんか」
女中たちは、なまじい御簾を下ろされて、せっかくの観物《みもの》を妨げられることを好みませんでした。お松もまた、せっかくの観物の始まるに先だって、こんなことをしたくないのであります。
「では、このままにして置きましょう」
と言って、御簾を卸すことをやめたけれども、心配は自分のことでなくて、お君の身の上にあるようでした。だから改めて坐り直す時に、わざと身を以てお君の前へ坐って隠すようにしながら、
「お君様、あれに、わたくしどもの主人が」
と言って、そっと前の桟敷を指して示しました。
「どのお方」
とお君がなにげなく、お松に指さされた方を見て、
「あ!」
と面《かお》の色を変えました。
その時に、ちょうど十六人の射手はこの桟敷の下を通りかかりました。お松は、お君が面色《かおいろ》を変えたことを、それほどには気にしないで番組を借りて見ながら、
「第一番は、筑前守様の御家来で正木様。あのお方がそれでございましょう」
と番組と人とをお松は見比べながら、
「第二番は能登守様の御家来で小川様……」
と言って、番組と人とをまた引合せながら、
「お君様、あなたの殿様からおいでなされたお方は、まだ若いお方でございますね」
お松の蔭に隠れるようにしていたお君は、小さい声で、
「主人のお小姓でございます」
と言っている時に、その人は桟敷の下へ来て綾藺笠《あやいがさ》を振りかたげて桟敷の上を見上げました。紫地錦《むらさきじにしき》の直垂《ひたたれ》を着て、綴《つづれ》の錦に金立枠《きんたてわく》の弓小手《ゆごて》をつけて、白重籐《しろしげとう》の弓を持っていましたが、今なにげなく振仰いで笠の中から見た面を、お松は早くも認めて、
「お君様」
「はい」
「あなた様のお家のお方は、薄化粧をしておいでになりました」
「ごらんになりまして?」
「確かに……」
「その通りでありまする」
お君とお松とは頷き合いました。その時にお松の心が遽《にわ》かに勇みをなしました。
十四
古式に装《よそお》うた花やかな十六騎が、南の隅に来てハタと歩みを止めた時に、馬場本《ばばもと》に設けられた記録所から、赤の直垂をつけて太刀を佩《は》き、立烏帽子に沓《くつ》を穿いた侍が一人、徐々《しずしず》と歩んで出て来ました。十六人は、その侍を迎えて進んで、近いところへ来て跪《ひざまず》きました。立烏帽子の侍もまた膝を折って、
「早や流鏑馬《やぶさめ》を始め候え」
というと、十六人が同時に、
「承りて候」
と言って一斉にその場をさがって、おのおの引かせた馬に跨《またが》ります。
その時に、四十八人の的持はてわけをして北の方の的場へ颯《さっ》と退《ひ》きました。そこへ的を立てて、その下に衣紋《えもん》を繕《つくろ》うて坐ると、弓持は北の方の隅の幕へ弓を立てかけました。
射手《いて》は順によって馬を進ませ、八幡社の方に一礼する。再び元へ戻って轡《くつわ》を並べる。西の方で白扇を飜して合図があると、東の方で紅の扇をかざしてこれに応《こた》える。用意がすでに整うと、第一番の射手が馬を乗り出しました。三たび馬を回《めぐ》らした後、日の丸の扇を開いて、笠の端を三度繕い、馬を驀然《まっしぐら》に騎《の》り出しながら、その開いた扇を中天に抛《なげう》つ。これは古式の通り捨鞭《すてむち》の扇であります。
策《むち》を揚げて馬を乗り飛ばし、矢声をかけて、弓を引き絞って放つと過《あやま》たず、一の的、二の的、三の的を見事に砕いて、満場の賞讃の声を浴びて馬を返す。
第二番は――宇津木兵馬でありました。ここでは仮りの名を小川静馬と言い、綾藺笠を冠《かぶ》って、面がよくわかりません。桟敷で女たちが見ていた通り、兵馬は薄化粧をしていましたようです。馬を乗り出すことから、捨鞭の扇を投げるまで、すべて小笠原の古式の通りでありました。
策《むち》を揚げて弓を引き絞って、切って放した矢は過たず、一の的を打ち砕きました。二の的もまた同じこと、三の的も……瞬く間に打ち砕いて、これも盛んなる賞讃の声を浴びて馬を乗り返しました。
第三番は小森蓮蔵――これもまた手練《てだれ》なもので、同じように三枚の的を打ち砕いてしまいました。そうして同じような賞讃を受けました。
こうして見れば、なんらの波瀾もありません。駒井家から出た者も、神尾から出した者も、一様に功を樹《た》ててみれば、恨恋《うらみこい》はない。
それから第四番以下は、第三番までとは段の違った射手でありました。三枚とも的を砕くのは甚だ稀れで、大抵は三本の矢のうち一本は射外《いはず》すのであります。それで十六騎のうち、三枚の的を打ち砕いたものは都合五騎ありました。他の十一騎は二本だけ。でもみな相当の面目を損ずることなくして流鏑馬を終りました。
この十六番の射手が流鏑馬《やぶさめ》を終って、馬を乗り鎮め、馬場を乗り廻して仮屋へ帰る勢揃いがまた見物となります。そのなかでも、どうしても評判に上り易いのは宇津木兵馬であります。
「あれは駒井能登守様のお小姓《こしょう》じゃそうな。駒井の殿様は鉄砲の名人、それであのお小姓までが弓の上手」
兵馬はなるべく人に面《おもて》を見られたくないので、笠で隠すようにしていました。
神尾主膳は過ぎ行く十六騎の射手を見送っていましたが、小森はそこへ来ると得意げに挨拶する。
主膳はそれに会釈しながら、その次に来る宇津木兵馬の面《かお》を、笠の下からよく覗いて見ようとします。
流鏑馬が済むと、他の射手は、まだ仮屋にいる間に宇津木兵馬だけは引離れてしまいました。兵馬は流鏑馬の時の綾藺笠《あやいがさ》に行縢《むかばき》で、同じ黒い逞《たくま》しい馬に乗って、介添《かいぞえ》や的持《まともち》をひきつれて仮屋へ帰って、直ちに衣服を改めて編笠で面を隠して、大泉寺小路というのを、ひそかに廻って、やはり人に知れぬように能登守の屋敷へ帰るものと見えます。
兵馬が行くとそのあとを、二人の同心がつけて行きました。
流鏑馬が終って花火が盛んにあがりました。そろそろ帰りに向いた群集と、これから繰り出して来る連中とで、人出は容易に減退の色を見せません。
「お帰りだお帰りだ、奥様方のお帰りだ」
という声で、人波の揺返《ゆりかえ》しがあります。
前の通路《とおりみち》を、見事な女乗物を真中に盛装した女中たちが附添うて、その前後には侍や足軽たちが固めて、馬場の庭から、それぞれの邸へ帰るものらしい。
兵馬もまた、この人波の揺返しの中へ捲き込まれて、押されて行くよりほかはありません。押され押されて行くうちに、ついその女中たちの行列と押並んで歩かねばならないようになりました。この際、
「喧嘩だ!」
この声はよくない声であります。この場合にこんなよくない声の聞えるのは不祥なことであったけれども、この行列の練って帰らんとする行手で、
「喧嘩だ、喧嘩だ」
続けざまに聞えたので、スワと聞く人は顔の色を変えました。
噪《さわ》ぎの起りはまさしく、前の露店と小屋掛けのあたりから起ったものに相違ないのであります。
「そーれ、喧嘩だ」
甲州の人
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