さんというお方は?」
「あの人は、今、あの、どこかへ……お使に行きましたから」
「左様でございますか。わたしはあの人にぜひ会わねばならない用事がありますの」
「そのうち帰って参りましょう、お手間は取らせませぬから、どうぞわたしのところまで」
お松はお君の部屋へ導かれて、そこで両女《ふたり》は水入らずに一別以来の物語をしました。
この物語によって見ると、お松はお君の今の身の上の大略を想像することができました。お松もまた甲州へ来る道中の間で、駒井能登守の人柄を知っているのでありましたから、その人に可愛がられるお君の今の身の上は幸福でなければならないと思いました。
けれどもお松は、そんなことのみを話したり聞いたりするために尋ねて来たのではなかった、大事の人に会わんがために来たのでありました。晴れて会われない人に、そっと会うべく忍んで来たのでありました。そっと会えるように米友が手引をしてくれるはずになっていたから、それで米友を訪ねて来たのですが、その米友がいないで、偶然にも会うことのできたその人はお君――かえってこれは一層自分の願いのために都合がよいと思いました。この屋敷においてはずっと地位の低い米友を頼むよりは、主人の寵愛《ちょうあい》を受けているこの優しい人に打明けたのが、どのくらい頼みよくもあるし、都合もよいか知れないと気がついたから、お松は、やがてそのことをお君に打明けて頼みました。
果してお君は、お松が思っている通りに、よい手引をしてくれる人でありました。お松が思ったより以上に快く承知をして、そのことならば誰に頼むよりも、わたしにという意気込みで返事をしてくれました。且つ、今は幸いに主人もいないから、これから直ぐに、わたしがそのお方の休んでおいでなさるところへ御案内をしましょう、ということでありました。お松が飛び立つほど嬉しく思ったのも無理はありません。
お松のようにおちついた性質《たち》の女が、ソワソワとする様子を見るとお君も嬉しくありました。この人をこんなに喜ばせるのは、またあの兵馬さんを喜ばせることになるのだと思えばなお嬉しくありました。こういう人たちの間の手引をして喜ばせる自分の身も嬉しいことだと思いました。
両女《ふたり》は人目に触れないで二階へ上ることができました。お君は、先に立ってその一室の障子を細目にあけて中を見入り、
「兵馬さん」
この声に兵馬は夢を破られました。軽い眠りの床から覚めて見ると、そこに立っている女の姿。
「お松どの」
兵馬もさすがに、驚きと喜びとを隠すことができないらしい。
「御気分は?」
「もう大丈夫」
兵馬は生々とした声でありました。
「ああ、わたしは心配致しました」
「どうもいろいろと有難う」
「お手紙を確かにいただきました」
「昨日はまた薬を有難う」
「あの友さんという人が、ちょうどこちらのお屋敷に雇われていたものですから。何かにつけて仕合せでございました」
「あれは、わしも知っている人……それからまたお君どのも」
「はい、お君さんにも、わたしは会うことができました、そのお君さんの手引でこうして上りました」
「して、主人の許しを得て?」
「いいえ、こちらの殿様はただいまお留守なのでございます」
「とにかくも、この屋敷へ落着いたことは当座の仕合せ、この上は一日も早く全快して、ひとまず甲府の土地を立退かねばなりませぬ」
「早く御全快なすって下さいまし。兵馬様、わたしはこんなものを持って参りました」
と言いながらお松は、持って来た風呂敷包を解くと、真綿《まわた》でこしらえた胴着でありました。
「お気に召しますか、どうでございますか」
と言って、その胴着のしつけの糸かなにかを取りますと、
「それほど寒いとも思わぬが、せっかくのお志だから」
兵馬は蒲団《ふとん》の上に坐り直して、挿帯《さしこみおび》をしていたのを解きかけました。
「兵馬様、これから毎日お訪ねしてもよろしうございますか」
「悪いことはないが、人に咎《とが》められると迷惑ではないか」
「誰にも知られないように用心して参りまする」
「それでも、この家の主人に知られぬわけにはゆくまい」
「こちらのお殿様は、お君さんを可愛がっておいでなさいますから……」
お松は面を赧《あか》らめます。
十
あとを慕って送って来るムク犬を無理に追い返した米友は、甲州の本街道はまた関所や渡し場があって面倒だから、いっそ裏街道を突っ走ってしまおうと、甲府を飛び出して石和《いさわ》まで来ました。
石和で腹をこしらえた米友は、差出《さしで》の磯や日下部《くさかべ》を通って塩山《えんざん》の宿《しゅく》へ入った時分に、日が暮れかかりました。
「もし、そこへ行くのは友さんじゃないか」
袖切坂の下で、やはり女の声でこう呼びかけられたから米友は驚きました。
「エ、エ!」
眼を円くして見ると、
「ほら、どうだ、友さんだろう」
と女はなれなれしく言って傍へ来るから、米友はいよいよ変に思いました。
もう黄昏時《たそがれどき》でよくわからないけれども、その女はこの辺にはあまり見かけない、洗い髪の兵庫結《ひょうごむす》びかなにかに結った年増の婀娜者《あだもの》のように見える。着物もまた弁慶か格子のような荒いのを着ていました。
はて、こんな人に呼びかけられる覚えはないと米友は思いました。
「誰だい」
「まあ、お待ちよ」
と言って女が傍へ寄って来た時に、はじめて米友は、
「あ、親方」
と言って舌を捲きました。これは女軽業の親方のお角《かく》でありました。なぜか米友ほどの人物が、このお角を苦手《にがて》にするのであります。この女軽業師の親方のお角の前へ出ると、どうも妙に気が引けて、いじけるのはおかしいくらいです。
もともと、黒ん坊にされたのは承知のことであって、道庵先生に見破られたために、その化けの皮を被《かぶ》り切れなかったのは米友の罪でありました。米友はそれは自分が悪かったと、それを今でも罪に着ているから、それでお角を怖れるのみではありません。
もし前世で米友が蛙であるならば、お角が蛇であったかも知れません。どうも性《しょう》が合わないで、それが米友の弱味になって、頭からガミガミ言われても、得意の啖呵《たんか》を切って、木下流の槍を七三に構えるというようなわけにはゆかないから不思議であります。
「あ、親方」
と言って米友が舌を捲くと、お角の方は今日は意外に素直《すなお》で、その上に笑顔まで作って、
「どうしたの、今時分、こんなところをうろついて……」
「これから江戸へ帰ろうと思うんだ」
「これから江戸へ、お前が一人で?」
「うん」
「そうして、どこから来たの、今夜はどこへ泊るつもりなの」
「甲府から来たんだ、今夜はどこへ泊ろうか、まだわからねえんだ」
「そんなら、わたしのところへお泊り」
「親方、お前のところというのは?」
「いいからわたしに跟《つ》いておいで」
米友は唯々《いい》としてお角のあとに跟いて行きました。お角はまた米友を従者でもあるかのように扱《あしら》って、先へさっさと歩いて袖切坂を上って行きます。
「お前、甲府へ何しに来たの」
「俺《おい》らは去年、人を送って甲府へ来たんだ」
「そうして今まで何をしていたの」
「今まで奉公をしたりなんかしていたんだ」
「どこに奉公していたの」
「旗本の屋敷やなんかにいたんだ」
「そしてお暇を貰って帰るのかい」
「そうじゃねえんだ」
「どうしたの」
「俺らの方でおんでたんだ」
「そんなことだろうと思った、お前のことだから」
「癪《しゃく》に触るから飛び出したんだ」
「お前のように気が短くては、どこへ行ったって長く勤まるものか」
「そうばかりもきまっていねえんだがな」
「きまっていないことがあるものか、どこへ行ったってきっと追ん出されてしまうよ」
「俺らばかり悪いんじゃねえや」
「そりゃお前は正直者さ、あんまり正直過ぎるから、それでおんでるようなことになるのさ」
「その代り、こんど江戸へ出たら辛抱するよ」
「それからお前、いつぞやお前はお君のところを尋ねに両国まで来たことがあったね」
「うん」
「それだろう、お前は人を送って来たというのは附けたりで、ほんとはあの子を尋ねにこちらへ来たのだろう」
「そういうわけでもねえんだ」
「しらを切っちゃいけないよ、そういうわけでないことがあるものか、お前をこちらへよこした人の寸法や、お前がこちらへ来るようになった心持は、大概わたしの方に当りがついているんだから」
米友はそこで黙ってしまいました。どこまで行っても受身で、根っから気焔が上らないで、先《せん》を打たれてしまうようなあんばいです。
袖切坂のあたりは淋しいところで、ことに右手はお仕置場《しおきば》です。袖切坂はそんなに大した坂ではないけれど、そこを半分ほど上った時に、
「おや」
と言って、どうしたハズミか、先に立って行ったお角が坂の中途で転《ころ》びました。物に躓《つまず》いて前へのめ[#「のめ」に傍点]ったのであります。
「危ねえ、危ねえ」
米友はそれを抱き起すと、
「ああ、悪いところで転んでしまった」
見ればお角の下駄の鼻緒が切れてしまっています。それをお角は口惜しそうに手に取ると、はずみをつけてポンと傍《かたえ》のお仕置場の藪《やぶ》の中へ抛《ほう》り込んで、
「口惜しい、うっかりしていたもんだから、袖切坂で転んでしまった」
キリキリと歯を噛んで口惜しがりました。お角の腹の立て方は、わずかに転んだための癇癪《かんしゃく》としては、あまり仰山でありました。
「怪我をしたのかね、かまいたち[#「かまいたち」に傍点]にでもやられたのかね」
米友は多少、それを気遣《きづか》ってやらないわけにはゆきません。
「そんなことじゃない、袖切坂で、わたしは転んでしまったのだよ、ちぇッ」
お角の言いぶりは自暴《やけ》のような気味であります。
「袖切坂がどうしたって」
「ここがその袖切坂なんだろうじゃないか、ところもあろうに、あんまりばかばかしい」
「そりゃ木鼠《きねずみ》も木から落っこちることがある、転んだところで怪我さえしなけりゃなあ」
「怪我もちっとばかりしているようだよ、向《むこ》う脛《ずね》がヒリヒリ痛み出した」
と言ってお角は、紙を取り出して左の足の膝頭《ひざがしら》を拭くと、ベッタリと血がついていました。
「やあ血が!」
米友も、その血に驚かされると、お角は、
「怪我なんぞは知れたことだけれど、袖切坂で転んだのが、わたしは腹が立つ」
お角は、よくよくここで転んだのが癪で堪《たま》らないらしい。
袖切坂を登ってしまうと行手に大菩薩峠の山が見えます、いわゆる大菩薩嶺《だいぼさつれい》であります。標高千四百五十|米突《メートル》の大菩薩嶺を左にしては、小金沢、天目山、笹子峠がつづきます。それをまた右にしては鶏冠山《けいかんざん》、牛王院山《ごおういんざん》、雁坂峠《かりざかとうげ》、甲武信《こぶし》ケ岳《たけ》であります。
素足で坂を登りきったお角は――坂といっても袖切坂はホンのダラダラ坂で、たいした坂でないことは前に申す通りです。そこで、お角は米友を顧みて、
「友さん」
と米友の名を呼びました。
「よく覚えておきなさい、この坂の名は袖切坂というのだから」
そういう言葉さえ余憤を含んでいるのが妙です。
「袖切坂……」
米友は、お角に聞かされた通り、袖切坂の名を口の中で唱えましたけれど、それは米友にとってなんらの興味ある名前でもなければ、特に記憶しておかねばならない名前とも思われません。
「ナゼ袖切坂というのだか、お前は知らないだろう」
「知らない」
「知らないはずよ、わたしだって、ここへ来て初めて土地の人から、その因縁《いわれ》を聞いたのだから」
お角は坂を見返って動こうともしません。米友もまたぜひなくお角の面《かお》と坂とを見比べて、意味不分明に立ちつくしていました。そこらあたりは畑と森と林が夕靄《ゆうもや》に包まれて、その間に宿はずれの家の屋
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