まだ眼を開かないけれど、炬燵《こたつ》の中から半身を開いて、傍《かたえ》に置いた海老鞘《えびざや》の刀を膝の上まで引寄せているのでありました。
 その構えは、動かば斬らんという構えでありました。その面《かお》の色は、斬って血を見ようとする色でありました。
「ああ、ああ、あなた様も、やっぱり悪い人、神尾主膳の同類でござんしたか。ああ、わたくしはどうしたらようございましょう」
 主膳に脅《おどか》された時は、少なくとも抵抗するの気力がありました。またその人に追われた時も逃げる隙がありました。ひとりこの異様なる人の前にあっては、身の毛が竪立《よだ》って動こうとしても動けないで、張り合おうとしても張り合えないで、戦慄するのみです。
 この時、門外が噪《さわ》がしく、多くの人がこの古屋敷へ来たらしくあります。
 それは、乗物を持って神尾主膳を本邸から迎えに来たものでありました。酔い伏していた主膳は、その迎えを受けるや愴惶《そうこう》として、その乗物に乗って本邸へ帰ってしまいました。それでこの古屋敷は、主人を失って全く静寂に帰してしまいました。
 机竜之助は、また炬燵櫓《こたつやぐら》の中へ両の手
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