がないほどになっていました。
「ちと、そなたに見せたいものがある、そなたでなければ見ても詰らぬもの、見せても詰らぬものじゃ。さあ、遠慮することはない、こちらへおいであれ」
主膳は手を伸ばしてお銀様の手をとろうとしました。お銀様はさすがに遠慮するのを、神尾は無理に右の手で、お銀様の手を取りました。左の手には例の梨子地の鞘の長い刀を持っていました。
「そんなにしていただいては、恐れ多いことでございます」
お銀様が遠慮をするのを、主膳は用捨《ようしゃ》なくグイグイと引張ります。お銀様はしょうことなしにその梯子段を引き上げられて行くのであります。
引き上げられて行くうちに、爛酔《らんすい》した神尾主膳が、その酔眼をじっと据えて自分の面《かお》を見下ろしているのとぶっつかって、お銀様はゾッと怖ろしくなりました。
お銀様はこの時まで、まだ神尾について何事も知りません。知っていることは、その仲媒口《なこうどぐち》によっての誇張された神尾家の噂《うわさ》のみでありました。何千石かの旗本の家であったということと、まだ若いということと、多少は放蕩をしたけれど放蕩をしたおかげで、人間が解《わか》りが
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