って鏡のようになっていると、そこへ富士の山が面《かお》を出しては朝な夕なの水鏡をするのでありました。富士の山の水鏡のためには恰好《かっこう》でありましょうとも、水さえなければ人間も住まわれよう、畑も出来ようものをと、例の地蔵菩薩がお慈悲心からある時、二人の神様をお呼びになって、
「どうしたものじゃ、この水をどこへか落して、人間たちを住まわしてやりたいものではないか」
と御相談になると、そのうちの一人の神様が、
「それは結構なお思いつきでござる、なんとかひとつ拙者が工夫してみましょう」
と言って、四辺《あたり》の地勢を見廻していたが、やがて前の方の山の端の薄いところを、
「エイ」
と言って蹴飛ばすと、その山の端の一角が蹴破られてしまいました。それを見るより、もう一人の神様が立ち上って、
「よしよし、あとは拙者が引受けてなんとかしよう」
と言って、いま蹴破られた山の端へ穴をあけて、そこへ一条の水路を開いたから、見ているうちに漫々たる大湖水の水が富士川へ流れて落ちました。
それを遠くの方で見ていた不動様が、
「乃公《おれ》も引込んではおられぬわい」
と言って、川の瀬をよく均《なら》して水の
前へ
次へ
全207ページ中20ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング