た飛び離れて十万と言ったり、思い切って区々《まちまち》であったところから、昔、信玄公が勝千代時分に、畳に二畳敷ばかりも蛤《はまぐり》を積み上げて、さて家中《かちゅう》の諸士に向い、この数は何程あらん当ててみよと、おのおの戦場|場数《ばかず》の功者に当てさせたところが、或いは二万と言い、或いは一万五千などと言った、その実、勝千代丸があらかじめ小姓の者に数えさせておいた数は三千七百しかなかった――そこで勝千代殿は、ああ、人数というものは多くはいらないものじゃ、五千の人数を持ちさえすれば何事でも出来るものだわいと言って、老功の勇士に舌を振わせたのは僅かに十三歳の時のことであった、後年名将となる人は異なったものだ、というような話も出ました。
 けれどもまた一方において、対岸の桟敷の婦人連を遠目に見て、大入場の連中とほとんど選ぶところのないような品評を試むる者が多くありました。また桟敷以外にいる町民や農家の子女たちを物色して、かえって野の花に目のさめる者がいるなんぞと、興がるものもありました。上役の手前もあり、身分の嗜《たしな》みもあったからこの席では、そんなに不謹慎なところまでは行きませんでし
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