》を行おうということであります。
八幡の流鏑馬は古来の吉例でありました。それは上代から毎年八月十五日を期して行われたのでありましたが、久しく廃《すた》れていたのを、この二月|初卯《はつう》を期して――後代の佳例に残るかどうかは知らないが、ともかくもやってみたいというのが発企者《ほっきしゃ》の意見で、それに輪をかけたのが賛成人と市中村々の人民とでありました。
この発企は、駒井能登守から出たものと言ってもよろしいのであります。能登守の家の重役が八幡の古例を調べ出して、ふとこのことを能登守に話すと、能登守はそれは面白い、その古例を復興してみたいものだと言いました。それを上席の勤番支配太田筑前守に話してみると、筑前守も喜んで同意を表しました。それに並み居る人々も、単に上役に対する追従《ついしょう》からでなく、心からその企てを面白いことに思ってはずみました。
すでにその辺から纏《まと》まったことであるから、それが城下へうつる時は、一層の人気になるのは無論のことであります。
二月初卯の日、八幡社前において三日間の流鏑馬《やぶさめ》が行われるということは、城下から甲州一円の沙汰になりました。
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