「お気に召しますか、どうでございますか」
と言って、その胴着のしつけの糸かなにかを取りますと、
「それほど寒いとも思わぬが、せっかくのお志だから」
兵馬は蒲団《ふとん》の上に坐り直して、挿帯《さしこみおび》をしていたのを解きかけました。
「兵馬様、これから毎日お訪ねしてもよろしうございますか」
「悪いことはないが、人に咎《とが》められると迷惑ではないか」
「誰にも知られないように用心して参りまする」
「それでも、この家の主人に知られぬわけにはゆくまい」
「こちらのお殿様は、お君さんを可愛がっておいでなさいますから……」
お松は面を赧《あか》らめます。
十
あとを慕って送って来るムク犬を無理に追い返した米友は、甲州の本街道はまた関所や渡し場があって面倒だから、いっそ裏街道を突っ走ってしまおうと、甲府を飛び出して石和《いさわ》まで来ました。
石和で腹をこしらえた米友は、差出《さしで》の磯や日下部《くさかべ》を通って塩山《えんざん》の宿《しゅく》へ入った時分に、日が暮れかかりました。
「もし、そこへ行くのは友さんじゃないか」
袖切坂の下で、やはり女の声でこう呼
前へ
次へ
全207ページ中114ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング