白いのが、欄干《てすり》を抜けて廊下の板の間まで手を伸ばしておりました。その面白い枝ぶりには、日当りのよいせいで、梅の花の蕾《つぼみ》が一二輪、綻《ほころ》びかけています。
「ホホホ、もう梅が咲いている」
お君の方はたちどまって、手近な、その一枝を無雑作に折って、香いを鼻に押し当て、
「おお好い香り、ああ好い香い」
心のうちにときめく香りに、お君は自分ながら堪えられないように、
「殿様に差上げましょう、この香りの高い梅の花を」
お君はそれを銚子の間に挿《さ》し込んで歩みを移そうとした途端に、よろよろとよろめき、
「おや」
それはほろ酔いの人としては、あまりに仰山なよろめき方であります。打掛の裾が、廊下の床に出ている釘かなんぞにひっかかったものだろうと思って、片手に打掛を捌《さば》き、
「おや」
振返ってみるとその打掛の裾は、廊下の下にいる何者かの手によって押えられているのでありました。
「君ちゃん」
「まあ、誰かと思ったら米友さん」
お君の打掛の裾を廊下の下から押えたのは、背の低い米友でありました。
「米友さん、悪戯《いたずら》をしては困るじゃないか」
「なにも悪戯をしやしねえ」
「だって、そんなところで押えていては」
「用があるからだ」
「何の用なの」
「君ちゃん、いまお前は、ここの梅の枝を一枝折ったね、その枝を俺《おい》らにおくれ」
「これかい、この梅の枝を友さん、お前が欲しいのかい」
「うむ」
「そうして、どうするの」
「どうしたっていいじゃねえか、欲しいから欲しいんだ」
「欲しければお前、こんな花なんか、わたしに強請《ねだ》らなくても、いくらもお前の手で取ればいいじゃないか」
「そんなことを言わずに、それを俺らにおくれ」
「これはいけないよ」
「どうして」
「これは殿様に上げるんだから」
「殿様に?」
と言って米友は強い目つきでお君を見ました。
「これは、わたしから殿様へ差上げる花なんだから、友さん、お前ほしいなら別に好きなのを取ったらいいだろう、ほら、まだ、あっちにもこっちにもいくらも咲いているじゃないか」
お君はチラホラと咲いている梅の木の花や蕾《つぼみ》を、米友に向って指し示すのを、米友は見向きもせずに、お君の面《おもて》をじっと見つめていましたが、
「要《い》らねえやい」
「おや、友さん、怒ったの」
「ばかにしてやがら」
米友は、そのままぷいと廊下の縁の下を潜《くぐ》り抜けて、どこかへ行ってしまいました。
駒井能登守が役所へ出かけたそのあとで、お君は部屋へ行ってホッと息をついて、微醺《びくん》の面《おもて》を両手で隠しました。
障子の外には日当りがよくて、ここにも梅の咲きかかった枝ぶりが、面白く障子にうつっています。
お君は脇息《きょうそく》の上に両肱《りょうひじ》を置いて、暫らくの間、熱《ほて》る面を押隠していましたが、そのうちにウトウトと眠気がさしてきました。
「お冷水《ひや》を持って来て」
「はい」
次の間で女中が返事をすると、まもなくギヤマンの美しい杯《さかずき》が蒔絵《まきえ》の盆の上に載せられて、若い女中の手で運ばれました。ギヤマンの中には玉のような清水がいっぱい満たされてあります。お君はそのお冷水《ひや》を口に当てながら、
「わたしは眠いから少し休みたい、お前、床を展《の》べておくれ」
「畏《かしこ》まりました」
「それから、あの犬に何かやっておくれかい」
「いいえ、まだ」
「忘れないように」
「畏まりました」
女中が出て行った後で、お君は水を一口飲んでギヤマンを火鉢の傍へ置き、それから鏡台に向い、髪の毛を大事に撫で上げました。笄《こうがい》を抜いたりさしたりしてみました。紅《くれない》のさした面《かお》を恥かしそうにながめていました。こうしている間もお君は、自分の身の果報を思うことでいっぱいであります。女中のよく言いつけを聞いてくれることも嬉しくありました。鏡がよくわが姿をうつしてくれるのも嬉しくありました。撫であげる髪の毛の黒いことも嬉しくありました。笄の鼈甲《べっこう》から水の滴《したた》るようなのも嬉しくありました。面から襟筋の白粉も嬉しいけれど、胸から乳のあたりの肌の白いことも嬉しくありました。殿様の美男であることが嬉しくありました。自分を産んでくれた母の美しかったということも嬉しくありました。
「ムクかい、待っておいでよ」
お君はこうして鏡台に向っていながらも、ツイその日当りのよい縁先へ、ムク犬が来たということには気がつきました。
気がついたけれども、障子をあけて犬を見てやろうとはしないで、やはり鏡に向って髪の毛をいじりながら、そう言って言葉をかけただけであります。人の愛情は二つにも三つにもわけるわけにはゆかないのか知らん。能登守に思われてからのお君は、犬
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