、わかった……」
お君は米友を押えながら、何かに気のついたような声で、
「わかった、お前は、わたしが出世したから、それで嫉《や》くんだろう」
「ナ、ナニ!」
米友は屹《きっ》と振返って凄い眼つきをしてお君を睨《にら》みました。
「きっと、そうだよ、わたしが出世したから、お前はそれで……」
「やいやい、もう一ぺんその言葉を言ってみろ」
米友はお君の面《かお》を穴のあくほど睨みつけました。
「そうだよ、きっと、そうに違いない、わたしが出世してこんな着物を着るようになったから、お前は世話がやけて……」
「うむ、よく言った」
米友はお君の面を目玉の飛び出すほど鋭く睨んで、拳《こぶし》を固めながら頷《うなず》いて黙ってしまいました。
「どうしたんだろう、ナゼそんなに怖い面をしているの、わたしにはわけがわからない」
米友に睨められたお君は、睨んだ米友の心も、睨まれた自分の身のことも、全くわけがわからないのでありました。もう一ぺん言ってみろといえば、何の気もなしにそれを繰返すほどにわけがわからないのであります。
「馬鹿! 出世じゃねえんだ、慰《なぐさ》み物《もの》になってるんだ」
「おや、友さん、何をお言いだ」
「お前は、人の慰み物になっているのを、それを出世と心得てるんだ」
「エ、エ、何、何、友さん、そりゃなんという口の利き方だえ、いくらわたしの前だからといって、そりゃ、あんまりな言い分ではないか、二度言ってごらん、わたしは承知しないから」
「二度でも三度でも言うよ、お前は殿様という人から、うまい物を食わせてもらい、いい着物を着せてもらって、その代りに慰み物になっているんだ、それをお前は出世だと心得ているんだ」
「あ、口惜《くや》しい!」
「何が口惜しいんだ、その通りだろうじゃねえか」
「わたしは殿様が好きだから、それで殿様を大事にします、殿様はわたしが好きだから、それでわたしを大事にします、それをお前は慰み物だなんぞと……あんまり口惜しい、殿様はそんなお方ではない、わたしを慰み物にしようなんぞと、そんなお方ではない、わたしは殿様が好きだから」
「好きだから? 好きだからどうしたんだい、好きだから慰み物になったのかい」
「友さん、よく言ってくれたね、よく言っておくれだ、お前からそこまで言われれば、もうたくさん」
お君はこう言って口惜しがって、ついに泣き出してしまいました。
「どっこいしょ」
と言って米友は、竹皮笠を土間から取り上げて被《かぶ》りました。その紐を結びながら、
「やいムク州、永々お世話さまになったが、俺《おい》らはこれからおさらばだ、お前も達者でいなよ」
ムク犬は悄然として、二人の間の土間にさいぜんから身を横たえていました。
「十七姫御が旅に立つヨ、それを殿御が聞きつけてヨ、留まれ留まれと袖を引くヨ」
米友は久しぶりで得意の鼻唄をうたいました。この鼻唄は隠《かくれ》ケ岡《おか》にいる時分から得意の鼻唄であります。これだけうたうと笠の紐を結び終った米友は、例の棒を取り直して、さっさとここを飛び出してしまいました。
九
米友が出て行ってしまったあとで、お君は堪えられない心の寂《さび》しさを感じました。
ムクはと見れば、そこにはいません。おそらく米友を送るべくそのあとを慕って行ったものと思われます。
その時に、この米友の部屋の後ろへそっと忍んで来た人がありました。台所口から、
「こんにちは」
と細い声でおとなうのは、やはり女の声でありました。
しばらくすると、
「こんにちは」
二度目も同じ声でありました。
「米友さん」
三度目に米友の名を呼びました。
「御免下さい」
台所口の腰高障子をそっとあけて、忍び足で家の中へ入り、中の障子へ手をかけて、
「米友さん」
と言いながら、障子をあけたのはお松でありましたが、米友を呼んで入って見ると、それは米友ではなくて、立派な身なりをした奥向きの婦人が、柱に凭《もた》れて泣いておりましたから、きまりを悪そうに、
「どうも相済みませぬ、あの、米友さんはお留守でございますか」
泣いている婦人は、その時、涙を隠してこちらを向きました。
「まあ、お前さんは……」
「あなたはお君さん」
「ずいぶん、これはお珍らしい」
「まあ、なんというお久しぶりな」
と言って二人ともに面を見合せたなりで、暫らく呆気《あっけ》に取られていました。
お松とお君との別れは、遠江《とおとうみ》の海でお君が船に酔って船に酔って、たまらなくなって以来のことであります。あの時、お君だけは意地にも我慢にも船におられないで、上陸してしまいました。
神尾主膳の家と、駒井能登守の屋敷とは、その間がそんなに遠くはないのに、両女《ふたり》ともに今まで面《かお》を会せる機会がありませんでした。甲
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