ねることに心をきめたお銀様が、案内を知った甲府の町の道筋をお城の方へと歩いて行くと、子供の泣き声が聞えました。
その子供の泣き声がいかにも物悲しそうに聞えて来ました。、弱い帛《きぬ》を長く裂いてゆくように泣き続けて、やがて咽《むせ》び入《い》るようになって消えたかと思うと、また物悲しそうに泣く音《ね》を立てて欷歔《しゃく》り上げる泣き声が、いじらしくてたまらなく聞えます。
お銀様は、どこからともなくその物悲しい子供の泣き声を聞いた時にはじめて、もう夜も大分ふけていることに気がつきました。気がついて立ったところのすぐ眼の前に、こんもりと一叢《ひとむら》の森があることを知りました。右の方は城内へつづくお武家屋敷があることを知りました。眼の前の森は穴切明神の森であることも、甲府の地理に暗くないお銀様には直ぐに合点がいったのです。その明神も見えるし、その森蔭にはお小人屋敷《こびとやしき》なんぞもあるのですから、闇の晩とはいえ、それを見極めることになんの手数も要《い》らないわけであります。
甲斐の国、甲府の土地は、大古《おおむかし》は一面の湖水であったということです。冷たい水が漫々と張り切って鏡のようになっていると、そこへ富士の山が面《かお》を出しては朝な夕なの水鏡をするのでありました。富士の山の水鏡のためには恰好《かっこう》でありましょうとも、水さえなければ人間も住まわれよう、畑も出来ようものをと、例の地蔵菩薩がお慈悲心からある時、二人の神様をお呼びになって、
「どうしたものじゃ、この水をどこへか落して、人間たちを住まわしてやりたいものではないか」
と御相談になると、そのうちの一人の神様が、
「それは結構なお思いつきでござる、なんとかひとつ拙者が工夫してみましょう」
と言って、四辺《あたり》の地勢を見廻していたが、やがて前の方の山の端の薄いところを、
「エイ」
と言って蹴飛ばすと、その山の端の一角が蹴破られてしまいました。それを見るより、もう一人の神様が立ち上って、
「よしよし、あとは拙者が引受けてなんとかしよう」
と言って、いま蹴破られた山の端へ穴をあけて、そこへ一条の水路を開いたから、見ているうちに漫々たる大湖水の水が富士川へ流れて落ちました。
それを遠くの方で見ていた不動様が、
「乃公《おれ》も引込んではおられぬわい」
と言って、川の瀬をよく均《なら》して水の
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