殊に主人の駒井能登守が砲術の名手として聞えた人であるだけに、その家中から、ロクでもない人間を出してしまっては、それこそ取返しのつかない名折れであると思って、重役や側用人たちは、もうそのことで心配していました。
 それがために例の重役や側用人らが苦心を重ねているうちに、どうしても聞き捨てにならぬことが出来たと見えて、重役が主人の許《もと》へ出て来ました。
「このたびの流鏑馬のお人定めは、誰をお指図でござりましょうや……就きまして我々共、容易ならぬ心配を致しおりまする。と申すのは、かの神尾主膳殿の許に、信州浪人とやら申す至って弓矢の上手が昨今滞在の由にござりまする、それは必ずやこのたびの流鏑馬を当て込んで、例の意地を立て、わが手に功名を納めんとの下心と相見えまする。あの神尾主膳殿は何の宿意あってか、いちいち当家に楯《たて》をつくようなことばかりを致されまする。よってこのたびの流鏑馬の催しに、功名をわが手に納めんとの下心より、一層、当家に対して、腹黒き計略が歴々《ありあり》と見え透くようでござりまする。それ故に、このたびのお人定めは疎略に相成りませぬ、万一のことがありますれば、お家の恥辱、また神尾主膳がこの上の増長、計りがたなく存じまする」
 家来たちは心からこのことを憂いているのであり、また憂うることに道理もあるのでありましたが、能登守はそれを知ってか知らずにか、
「そりゃそのほうたちが思い過ごし、このたびの催しは、寸功を争うためにあらずして、国の兵馬を強くせんがため……しかし、其方たちの申すことも疎略には思わぬ、追ってよき人を見立てて沙汰を致そう」
「仰せながら、もはや余日もいくらもごりませぬ、一日も早く御沙汰を下し置かれませぬと。本人の稽古と準備のために……」
「その辺も心得ている、それ故、家中一同にその用心を怠らず、いつ沙汰をしても驚かぬようにしているが肝腎」
 能登守自身も必ずや、このことを考えていないはずはない。事は些細《ささい》ながら、家の面目と責任というようなことへ延《ひ》いて行くことも考えていないはずはないでしょう。

 この時分、神尾主膳の屋敷では、このごろ召抱えた信州浪人の小森というのが、主人の御馳走を受けながら、しきりに用人たちを相手に気焔を吐いていました。小森の年配は四十ぐらい、名は小森だが実は大きな男でありました。
「拙者の流儀は、信濃の
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