で女軽業の一座を率いていた親方が、どうしてこんなところの侘住居《わびずまい》に落着いたかということが、米友には大いなる疑問であります。甲府へ興行に来た間違いからお君がひとり置き捨てられたのは、聞いてみればその筋道が立ちますけれど、この女親方がここへ落着いていることは、どうも米友には解《げ》せないのであります。まもなく、お角はお湯に行くと言って出て行きました。やがて女中が二階へ来て、あなたもお湯においでなさいましと言いました。米友は、湯はよそうと言いました。それではお床を展《の》べてあげましょうと言って、次の間へ寝床をこしらえて、屏風《びょうぶ》を立て、燈火《あかり》に気をつけて、お休みなさいませと言いました。
「いったい、ここの旦那というのは何を商売にしているんだい」
「絹商人《きぬあきんど》でございます」
 米友はなるほどと思いました。郡内にも甲府にも絹商人ではかなり大きいのがあるから、何かの縁でそれに見込まれてあの親方が囲われたな、と米友はそんな風に感づいて、多少|腑《ふ》に落つるところはあったけれども、袖切坂の上でお角が言った異様な一言《ひとこと》は、どうも米友には解くことができませんでした。
 米友が寝込んだのはそれから長い後ではなかったけれども、その夜中に格子をあける者がありました。
 米友はまた、さすがに武術に達している人であります、熟睡している時であっても、僅かの物音に眼を醒《さ》ますの心がけは、いつでも失うことはありません。
「うむ、そうか、そんならいいけれど、滅多《めった》な人を入れちゃいけねえぜ」
 それが男の声です。
 そこで米友は、ははあ、やって来たな、旦那の絹商人《きぬあきんど》という奴がやって来たなと、腹の中でそう思いました。
 そのうちに瀬戸物のカチ合う音や、燗徳利《かんどくり》が風呂に入る音なんぞがしました。それでもって、お角とその絹商人とが差向いで飲みはじめていることがわかりました。
 二人は飲みながら話をしています。その話し声が高くなったり低くなったりしていますけれども、聞いているうちに、米友がまたまたわからなくなったのは、男の方の言葉づかいが決して商人の言葉づかいではないことであります。
 いくら土地の商人にしたところで、いま下で話している人の口調は、反物《たんもの》の一反も取引をしようという人の口調ではありません。
 絹商人と
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