神尾主膳はこう言って、暫らく幸内の姿をながめていたけれど、幸内は更に動くことをしませんでした。
「はははは」
と主膳はまた発作的に笑って、そのままゴロリと横になりました。横になると新内《しんない》の明烏《あけがらす》をところまんだら摘《つま》んで鼻唄《はなうた》にしているうちに、グウグウと寝込んでしまいました。
主膳の鼾《いびき》がようやく高くなった時分に、幸内の身体が少しばかり動きました。絶息していた幸内の眼に白い雲のようなものがかかりました。幸内は夢のように手を振りました。それが気のついたはじめで、それから自分のことを覚《さと》るまでには、なお幾分かの時間がかかりましたけれど、結局、幸内は我に返りました。
我に返った最初に、行燈の光がボンヤリと眼へ入りました。それよりも幸内が嬉しくて嬉しくてたまらなかったのは、いつのまにか、わが手が自由になっていたことのわかった時であります。
それがわかると勇気が一時に十倍百倍し、さほど弱っていた身体で這《は》い起きたのが不思議なくらいでありましたけれど、這い起きて見るとこれも嬉しや、足も自由になっていました。
見れば行燈の影に一人の侍が寝
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