ひなく寝床の方へ退きました。兵馬は蒲団を引被《ひきかつ》ぎながら、格子の角に引かれる鑢の微《ちい》さな音を聞いていました。

 兵馬は正直な心で、今まで待っていました。己《おの》れの疚《やま》しいことさえなければ、泰然として待っているうちに、天は必ず己れを助くるものだと信じていました。非法に囚われたけれど、自分は法を犯してそれを逃れようとはしませんでした。しかし今という今、その心に動揺が起らないわけにはゆきません。

         七

 駒井能登守は例の洋風に作った一間に籠《こも》って、このごろは役所へもあまり出勤せず、また調練も暫らく他の者に任せておきました。
 この一間に籠った能登守は、人を諸方に遣《つか》わして土を集めさせています。自分もまた、思い立ったように外へ出ては土を集めて来るのであります。
 集めた土を分析《ぶんせき》したり、また火にかけたりして験《ため》すことに、ほとんど寝食を忘れるくらいの熱心でありました。
 能登守が預かって、城内の調練場で扱っている虎砲《こほう》十二|磅砲《ポンドほう》というようなのは、伊豆の江川の手で出来たものであります。伊豆の江川は能登守
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