市五郎がその後、しばしば伊太夫の許へ出入りする間に、伊太夫に向って一つの内談《ないだん》を持ち込みました。内々で伊太夫が何というか、それを聞いてみたいような口吻《くちぶり》であります。
 それは意外にも縁談のことであります。
「お嬢様もお年頃でございますから」
と言い出した時に、さすがに伊太夫は苦《にが》い面《かお》をしました。
 その苦い面を見て、市五郎も話しにくいのを強《し》いて一通り話してしまうと、伊太夫の苦い面が少しく釈《と》けかかってきました。
「お組頭で神尾主膳殿……」
と言って腕組みをしました。伊太夫の顔色が和《やわら》いだのを見て、市五郎はその目をそらさぬように、
「もとはお旗本のお歴々でございます、お使い過ぎでこちらへおいでになったくらいでございますから、苦労人でございます、人間が捌《さば》けておいでなさいます、物の酸《す》いも甘《あま》いもよくわかっておいでなさるお方でございます、もう御当家のこともお嬢様のことも万々《ばんばん》御承知の上で……」
と言って媒人口《なこうどぐち》らしい口を利きました。さてはこの男の縁談というのは神尾主膳へ、この家の娘のお銀様を縁づ
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