く思われて何事も起らなかったのが、その夜の市五郎と、お銀様と、お君との一行でありました。
 市五郎の挙動から推せば、この二人をどこへつれて行って、どんな目に遭わせることかと思われたのに、案外にも、極めて素直《すなお》に駕籠に付添うて有野村へ入ってしまいました。
 有野村へ入って、お銀様の屋敷へ送り込んでしまいました。これでは尋常の上の平凡であります。
 お銀様とお君とがその屋敷へ送り届けられた前後には、もちろん伊太夫の家は鼎《かなえ》の沸くような騒ぎであります。前に幸内の行方《ゆくえ》が今以て知れないところへ、今またお銀様とお君との行方が知れなくなったということは、伊太夫はじめ、この大尽《だいじん》の家の一家と出入りの者を驚かせずにはおきません。
 お銀様もお君も、出る時は誰にも断わらないで出て行きました。ほどなく帰るつもりでしたから黙って行きました。お君は誰にか一言《ひとこと》言い置いて出ようと言ったのを、お銀様が無下《むげ》に斥《しりぞ》けてしまいました。それだから屋敷では誰あって、二人がいつごろ、どこへ行ったかを知るものはありません。召使の女のうちに、お銀様とお君さんとがお対《つ
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