リと徹《こた》えるような勇敢にして凄烈《せいれつ》なる叫びでありました。
「や、あの声は?」
「狼ではないか」
「熊ではあるまいか」
 少年たちはまたも足をとどめたが、その吠《ほ》え落す声をじっと聞きとめて、
「やっぱり、犬のようじゃ」
 いま吠え出したそれはまさに犬の声であります。犬の声ではありましたけれども、尋常の犬の声とは思われません。
 それはさておいて、このおっそろしい[#「おっそろしい」に傍点]闇と靄の晩にも泰平無事なのは、甲府のお牢屋の番人の老爺《おやじ》であります。
 小使の老爺は貰いがたくさんあります。牢の中にいても金を持っている奴は、小使に頼んでいろいろの物を買ってもらうことができる。最初に持っていた金は役人のところへ取り上げられて、必要に応じて少しずつ下げ渡される制度であったが、その少しずつ下げ渡された金で、小使の老爺に頼んで、内々でいろいろの物を買い調《ととの》えるのであります。
 生姜《しょうが》や日光蕃椒《にっこうとうがらし》を買ってもらうものもあります。紙の将棋盤と駒を買ってもらって勝負を楽しむものもあります。武鑑を買ってもらって読むものもありました。お菜
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