ればなりませぬ。
 ことに、あのお濠《ほり》の外で、折助どもからあんな無礼な仕打をされている時に、城の中で二人にこんなことをされては……それが口惜しくて、嫉《ねた》ましくて、腹立たしくて、呪わしくて、お銀様の銀の簪持った手がワナワナと慄《ふる》えて慄えてたまりません。
 お銀様はその写真を左の手で持ち直して、右の手で銀の簪を取り直して、
「エエ、覚えておいで」
と言ってズブリ――その女の像《すがた》の面をめがけてつきとおそうとしました。
「お嬢様、まあ何をなさいます」
 あわてて入って来たお君は飛びついて、銀の簪を持ったお銀様の手をしかと抑えました。
「お放しなさい」
 お銀様はお君の抑えた手を振り切って、なおもその写真につきとおそうとするのであります。
「このお写真は、大切のお写真でございます、お嬢様、そんなことをあそばしては」
「それはお前には、お前には大切なお写真であろうけれども……」
「このお写真に間違いがあっては、私が殿様に申しわけがありませぬ」
「そりゃ、そうだろう、お前は殿様に申しわけがあるまいけれど、わたしはばかにされたのが口借しい!」
「何をおっしゃいますお嬢様、そのお写真ばかりはどうしても御自由におさせ申すことはできませぬ」
 お君は日頃に似気《にげ》なく争いました。お銀様はほとんど狂気の体《てい》で写真を遣《や》らじとしました。一枚の写真を争う両人《ふたり》は、ほとんど他目《よそめ》からは組打ちをしているほどの烈しさで揉み合いました。
 そうしてお君は、やっとお嬢様の手からその写真を取り上げて、太息《といき》を吐《つ》きながら、
「お嬢様、こんな乱暴をあそばしますなら、もうもう、わたしはお嬢様のお側にいるのはいやでございます、今日限りお暇をいただきまする」
「ああ、それがよい、わたしも、もうお前がいなくてもよい、お前はその可愛い殿様のところへおいで、わたしもお嫁に行くところがあるのだから、ええ、わたしはお嫁に行くようにきめてしまったのだから」
 お銀様がこう言ってその両眼から留度《とめど》もなく涙を落した時に、お君は何と言ってよいか解らない心持になりました。
 いつもならば何でもないことでしたろうけれど、その時はそれで、二人のなかが割《さ》かれてしまいました。お君が、もうお嬢様のお傍にいないと言ったのは一時の激した言い分のようであったが、実は本
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