いました。
幸いにしていったん気絶した子供は、医者の来てくれたことによって蘇生して、無邪気な笑い顔を見せるようになりましたけれど、親なる人のゲラゲラ笑いは無制限に放縦なものになってしまいました。人が騒いでいる間に、若い亭主はゲラゲラ笑いながら、フイとどこへか姿を見せなくしてしまいました。
これで小さな八日市の呉服店はつぶれてしまいました。地廻りの若い者たちに岡焼《おかやき》をさせた愛嬌のあるおかみさんと、お世辞のよい御亭主と、その間の可愛らしい子供から成り立った平和な家庭が、根柢から摧《くだ》けてしまいました。
市中の上下は、その惨虐《さんぎゃく》なる殺人者の何者であるかを揣摩《しま》して、盛んに役向《やくむき》を罵りました。役向を罵るばかりでなく、おのおの進んで辻斬退治のために私設の警察を作ろうとしました。
その晩は幸いに何事もありませんでしたけれども、その翌日になると、町の人は気の毒とも悲惨とも言い様のない一つの光景を見せられることになりました。
発狂して親戚に預けられた呉服屋の若い亭主が、その子供を背に負うて何か言いながら、当途《あてど》もなく町を歩いていることであります。
その若い亭主は、どこを目当ともなく歩いていましたけれど、時々休んではゲラゲラと笑います。そうすると背中にいる子供は、それを喜んで、またキャッキャッと笑い興じているのであります。
それらのことを知るや知らずや机竜之助は、ちょうどそれから三晩目の夜中に、そっと躑躅《つつじ》ケ崎《さき》の古屋敷を抜け出しました。
頭巾《ずきん》を被《かぶ》り、羽織を着、刀を差して、竹の杖をつくこと例の通りにして、いつのまにか愛宕町《あたごちょう》の東裏へその姿を見せましたが、そこへ来ると境町の方からズシズシと数多《あまた》の人の足音が聞えました時に、竜之助は、時の鐘の櫓《やぐら》の下へ蜘蛛《くも》のように身を張りつけて、その足音をやり過ごしました。
「こんなところが剣呑《けんのん》じゃ」
と言って過ぎ行く一隊の中で、六尺棒を突き立てて暫らく時の鐘の櫓の下に立っている者もありました。
「斬る方では、こんなところが究竟《くっきょう》だけれど、わざわざこんなところへ斬られに来る奴はあるまい」
そんなことを言って行き過ぎてしまいました。これは辻斬を警戒するために組織された一隊の足軽たちと見えます。これ
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