そのように恐れ入らんでもよい、実は今日は其方《そのほう》を上客にしたいくらい。いつもは伊太夫の雇人であるが、今日は位がついて来たのじゃ。例の品は持って参ったことであろうな」
「へへ、恐れ入りまする。せっかくの殿様のお言葉でござりまする故、主人から借受けて参りましてござりまする」
「それは大儀大儀、よく借受けて来た。伊太夫は変人のことでもあり、ことにあの品は滅多に人に見せぬ品であるそうな。其方の働きで、ここまで持参して来たのは何よりのこと」
「これがその品でござりまする」
幸内は、やはり恐る恐る萌黄包《もえぎづつみ》の長い箱を差出しました。
この箱は、前の日、幸内がお銀様から三日の約束で借受けて来た箱であります。この席へ持って出るために幸内は、この箱をお嬢様から借受けたのだということがわかります。
「おお、それそれ」
と言って神尾主膳は、その箱を受取りながら、
「おのおの方に、この品をお目にかけたい。その前に申し上げておきたいことは、この品はあの有野の馬大尽の家に先祖より伝わる秘宝、御列席のうちにも名のみ聞いて実を見んと思わるる向きが少なからぬことと推察致す。門外不出とも言うべきこの品を、この席に限りて一見致すことは仕合せ、充分の御鑑定を承りたいものでござる」
神尾主膳は風呂敷の結び目を解きかけてこう言いましたから、列席の者がなるほどと感心しました。葛原親王《かつらはらしんのう》以来と言われる有野の馬大尽の家には無数の秘宝があるということだが、そのうちにも一本の名刀がある。それは非常な名刀であるという評判だけを聞いていたが、まだ見た者がありません。見ようとしても主人の伊太夫が頑固で容易に見せないとのことでありました。そのうちの名刀を今この席で一見することができるというのは、一座の好奇心の期待に反《そむ》かないことであります。
「それは、それは」
と言って列席がどよみ渡りました。さすがに神尾殿は苦労人だけあって、人を待たしおいて、アッと言わせる趣向がうまいと感じたものもありました。
何か趣向をしておいて、アッと言わせるということは、似非《えせ》茶人や似非通人のよくやりたがることであります。神尾は人を招いた時は、いつでも何かこんなことをしたがるのでありました。そうして、さすがの御趣向だと言われることを以て大得意になる癖がありましたのです。
しかしながら、列席の者のうちには、アッと言ったものばかりはありませんでした。例のいやみな神尾の癖がと、苦々《にがにが》しい面《かお》をして控えているのもありました。その苦々しい面をして控えている者も、神尾のやり方のいやみなのに苦々しい面をしたので、その名刀を見たいという熱望は決して苦々しいものではありません。辞《ことば》を厚うし、身を謙下《へりくだ》っても後学のために見ておきたいと思っていたところでありましたが、神尾があんまり我物顔《わがものがお》に思わせぶりをするものだから、
「いかにも、あの有野の伊太夫が家に名刀があるとはかねて噂《うわさ》に聞いていた。噂に聞いたところによれば、源氏の髭切膝丸《ひげきりひざまる》、平家の小烏丸《こがらすまる》にも匹敵するほどの名剣であるそうな。しかし誰が行っても見せたことはない、見た者もないという。それ故、あの名刀は評判倒れ、実はそれほどでもない剣《つるぎ》を、あんまり評判が高くなった故に、人に見られるのがきまりが悪く、それ故秘して置くという蔭口もござる。今日はそれらの疑いが残らず晴れることでござろう、喜ばしいことでござる」
やや皮肉まじりに言い出でたのは、鉄砲方の平野老人でありました。
「まことこの品が噂通りの名剣であるか、或いはさほどのものではないか、御一見の上でおのおの方の腹蔵なき御意見を承わりたい。拙者とても今日はじめて見る品」
神尾は平野老人の言い方が少し癪《しゃく》にさわったようでありました。しかしこの老人はこの席の中での刀の目利《めきき》でありましたから、多少は警戒しました。万々が一、この刀が評判ほどのものでないとすれば、真先にこの老人から槍が出ると思いましたから、少しは気味が悪いと見えます。それだから自分はまだこの刀を見ていないのだという予防線を張って用心をしておきました。そう言っておけば万々が一、この刀がそれほどのものでなかったにしろ、幾分は責任が逃《のが》れるし、もし評判通り非常な名剣であった時には、思い入りこの老人からとっちめてやろうという腹なのでしょう。
それですから老人の方でも、また多少の意気張りが出て、眼鏡を拭いて掛け直しました。平野老人につづいては師範役の小林が名を得ていました。この両人のほかの者といえども、刀についてはみな相当の眼を持っていないものはありません。或いは平野や小林以上に、眼の肥えていて名の聞えないものが一座の中にいないとは限りません。
一応アッと言わせたけれども、あけて口惜しき玉手箱ではせっかくの趣向がなんにもならぬ。こんなことならば、一応自分が見ておいてから、この席へ出した方がよかったと神尾は、多少自分の軽率を悔ゆるようになりつつ、ようやく包みを解いてしまって、箱を開くと古錦襴《こきんらん》の袋の中には問題の太刀が一|振《ふり》。それから神尾が袋を払って、その白鞘《しらさや》の刀に手をかけて鄭重《ていちょう》に抜いて見ました。
刀身の長さは二尺四寸。神尾主膳がそれを抜いてつくづくと見ると、例の平野老人は眼鏡の面《かお》をそれに摺《す》りつけるようにして横の方から見ました。小林文吾もまたそれを前の方からながめていました。一座の連中は、或いは近いところから、或いは遠いところから、しきりに覗《のぞ》いたり眺めたりしていました。主膳はつくづくと見て、
「うむ」
と考え込んでいましたが、そのままなんらの意見も述べないで平野老人の手へと渡してやりました。平野老人はそれを恭《うやうや》しく受けて改めて法式通り熟覧しました。平野老人は打返して二度まで見ました。
「うむ」
これも唸《うな》るように、うむと力を入れて言ったままで、次なる師範役の小林文吾の手へと渡してやりました。小林師範がそれを受けてしきりにながめましたけれども、これも一言も意見を述べませんでした。そうして、やはり無言のままで次へ渡してしまいました。同じようにしてその刀が列座の人々の手から手に渡されて、いずれも考えを凝《こ》らしてながめていましたが、誰とて、それについて極《きわ》めをつけてみようというものはなく、こうもあろうかという意見をさえ述べるものはありません。そうして無言のままに受取られて刀は席を一巡し、ようやく神尾主膳の手に戻りました。
「さて、いかがでござるな、おのおの方」
その刀を鞘へ納めながら神尾主膳は一座を見廻しました。けれども、誰もまだウンともスンとも言いませんでした。相州物であろうとか、いいや備前とお見受け申すとか、おおよその見当さえ附ける人がありませんでした。おおよその見当を附けてさえ笑われることを恐れるほどに、わからないのがこの刀でありました。
「区《まち》よりいったいに板目肌《いためはだ》が現われているようでござるな」
平野老人がようやくこれだけのことを言いました。相州物とも大和物とも言わないで、肌のことから言い出したのは、大綱《たいこう》を述べないで細論にかかったようなものでありました。この老人も多少てこずったものと見えます。
ともかくも平野老人が、これだけの口を開いてみると、次には小林師範役がなんとか言わなければならない立場になりました。
「模様を一見したところでは、肌が立って地鉄《じがね》が弱いようにも見受けられる……が」
最後のが[#「が」に傍点]というところへ、最も多くの余地を残しておきました。
「左様」
平野老人は呑込んだように頷《うなず》きました。しかし何が左様だか列座の人には、あんまり呑込めないようであります。そこで老人は、
「その地鉄がなあ」
と附け足したけれども、地鉄がどうしたのだか、いよいよ呑込めなくなりました。これだけ言いかけたら、あとは小林師範役か誰かがバツを合せてくれるだろうと思っていたところが、小林はそれからなんとも言いませんでした。一座の者も黙っていましたから、老人は自身の言葉尻を持扱っていると列座の中から、
「則重《のりしげ》……則重……則重ではないか」
と吃《ども》りながらこう言った者がありました。これはそそっかしいので通った市川という御蔵《おくら》の係りでありました。まだ誰も剣呑《けんのん》がって国も言わなければ年代にも触《さわ》ってみないうちに、早くもその銘を言ってしまったところはなるほど、そそっかし屋であり正直者であることがわかります。
「以てのほか」
平野老人は首を振って肯《うけが》いませんでした。市川の言ったことを刎《は》ねつけることによって、自分がもてあました言葉尻が立て直りました。
「則重ではござらぬ」
平野老人は首《かぶり》を振ったから、そそっかし屋の市川は一時《いっとき》、面を赤くしましたけれど、老人があんまり手厳《てきび》しく刎《は》ねつけたものですから、反抗の気味となって、
「そ、そ、そんならば、そんならば、老人のおめききは……」
と言って反問しました。焦《せ》き込むと吃《ども》る癖があるから、いつもならばおかしいのであるけれど、誰も笑いませんで、かえって市川に同情するような心持で、老人の返答を相待っているような者さえあります。それは則重と見たものがこの市川一人ではなく、だいぶ同意見の者があるらしいのです。市川と同意見であるけれども、まだそうも言い出し兼ねている時に市川が皮切りをしたから、わが意を得たりと言わぬばかりに、内心で市川に同情しているらしい者もあります。
「なるほど、則重と言いたいところである、一応はそう言ってみたいところで、市川氏のおっしゃるのも御無理はない、大湾《おおのた》れに錵《にえ》が優《すぐ》れて多く匂いの深いところ、則重の名作と誰も言ってみたいが、それよりはずんと高尚で且つ古いものじゃ」
平野老人はこう言いました。
「そ、そんならば老人のお目利《めきき》は?」
市川は再び老人に返答を促《うなが》したけれども老人は、頓《とみ》に返事ができないで困《くる》しんでいる様子を小林師範が傍《かたわら》から見て、
「これは近頃の好題目、口に出して言うては皆々遠慮がある故に、入札《いれふだ》としてみたらいかがでござるな、各自の見るところを少しの忌憚《きたん》なく紙へ書いて、名前を記さずにこれへ集めてみようではござらぬか」
小林がこう言い出したのは、老人にも救いであり一座もみな同意しました。言い出したいけれども恥を掻くといけないと思って遠慮していたものが多いのを、それが無記名投票になれば恥はかき捨てになり、当れば名誉になるのですから、忽《たちま》ちに多数の同意を得て筆と紙との用意が出来ました。おのおの筆を取って紙片に思う所を書いて捻って盆に載せ、二十余人の者が残らず投票をしてしまった後に開票のことになりました。
開票して見ると、その鑑定に大胆を極めたのもあり、小心翼々と疑問を存したのもあったが、いずれもそれを古刀と見ることには異議はありません、新刀と書いたものは一人もありませんでした。備中《びっちゅう》の青江《あおえ》であろうと書いたり、備前の成宗《なりむね》と極《きわ》めをつけたのもあり、大和物の上作と書いたのもあり、或いは、飛び離れて天座神息《あまくらしんそく》などと記したものもありました。その観《み》るところの区々であるだけ、それだけ捉まえどころが少ないものと見えましたが、さすがに則重と書いたものが六枚ありました。二枚三枚と適合したのはほかにもあったけれど、六枚揃うたのは則重だけでありました。
「どうもわからぬ」
開票してみて、いよいよ刀のえたいが不思議になってしまいました。則重もまた正宗《まさむね》門下の傑物だが、今ここに評判に上っているような宝物としては物足りないのであります。
「それでは、いよいよ則重かな
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