「お嬢様、そんなお使いが、わたくしなんぞに勤まるものでございましょうか」
「いいえ勤まります、勤まると思うから、わたしはお前に頼みます」
「まあ、どうしたらよろしうございましょう」
「これから行って、橋を渡って大手の御門へ入り、御門番には、御支配様のところへ通る、有野村の伊太夫から来たと言えば、きっと通して案内してくれますから、そうしてごらん」
「それでもお嬢様、殿様がお会い下さるか、下さらないか」
「まだお前、そんなことを言っているの。きっと会います、きっと殿様は、お前の訪ねたことを喜んで、直ぐにお前をお呼びになるにきまっている」
「お嬢様、それはただお嬢様の御推量だけでございましょう」
「そうではありませぬと言うに。それはお前よりも、わたしの方がよく知っている。そうしてお前、殿様の御前《ごぜん》へ出たら、この間のお礼を申し上げた上で、幸内のことを、よくお頼み申しておくれ、大切の刀を持って行方《ゆくえ》が知れなくなって困っている、もしやこのお城の中のどなたかのお邸でお引止めになりはしないか、それとなく、殿様に申し上げてみておくれ。そうすれば何かお心当りがおありなさるかも知れない、あの殿様はきっと御親切なお骨折りをして下さるに違いない」
「そんならお嬢様、わたしが行って、ともかくもお願い致してみましょうか」
「そうしておくれ」
「わたしなんぞが、お訪ねをしたからとて……」
 お君はお銀様の言葉というよりは、その圧力の烈しい命令に押しやられるようになって、大手の橋を渡って御門番の方へと歩みました。お君はお銀様からせがまれて御門番のところへ行き、
「御支配様にお目にかかりたいのでございますが」
「御支配様は太田筑前守様か駒井能登守様か」
「駒井能登守様に」
「何の用で」
 門番の足軽は六尺棒を突き立て、お君の姿をジロジロと見渡しておりました。
「あの、有野村の藤原の家から参りました、主人より殿様へのお使いでございます」
「左様か」
 足軽は会得《えとく》したような、会得しないような面をして、
「有野村の藤原家とあらば仔細《しさい》もあるまいけれど、御門鑑を御持参か」
「いいえ」
「御門鑑がなければ滅多に通すことはならない……」
と門番は権柄《けんぺい》を作りましたけれど、そのあとへ持って行って、
「のだが……」
という言葉を附け加えて、
「駒井能登守様は格別の思召《おぼしめ》しで、訪ねて来た人は誰でもお通し申すように御沙汰があるから通すまいものでもない」
と言いました。
「有難うございます」
とお君はお辞儀をしました。
「しかし、ただいま御操練《ごそうれん》の最中でいらっしゃるかも知れぬ、一応御様子を伺って来るからお待ち召されよ。して、有野村の藤原の家から来たお前さんは何とおっしゃるお名前じゃ」
「君と申しまする」
「よろしい、有野村の藤原の家から来たお君殿、ただいま取次いで上げる、暫くそこで待たっしゃい」
 門番の足軽は権柄《けんぺい》を作ったり、また粗略《そりゃく》にも扱わないように見せたりして、一人が廓《くるわ》の中へ入って行きました。その間、お君は門番の控所で待たせられていました。
 お君が門番の控所に腰をかけて待っていると、そこへ通りかかったのは役割の市五郎でありました。前は一蓮寺の境内でお君らの一行が興行をしている時に、木戸を突かれて大騒ぎを起したのがこの市五郎であります。市五郎はたいそう景気のよい身なりをして、懐手《ふところで》で廓の内から御門の外へ出ようとして、計《はか》らずもそこに控えていたお君の姿を見て足を留めて、お君の面《かお》をジロジロと見ました。お君はそれとは気がつかないでいる時、さきに取次に行った足軽が戻って来ました。
「案の如く駒井の殿様は御調練のお差図であるが、お前のことを申し上げると、直ぐにお許しになった」
 お君は足軽に導かれて行きます。
 門番の控所を出た役割の市五郎は、何か考えながら廓の外へ出た時に、またも一人、柳の木の蔭に立っている妙齢の女を認めました。
 市五郎は眼を丸くして後ろから、わざとその女の傍の方へ寄って行きました。
「はてな、不思議なことがあればあるもの、今お城の中に入った女がもうここへ来ている」
 市五郎は自分の眼を拭いながら近寄りました。そこへ立っていた女は、いま控所で見たお君の姿と身なりも形も寸分違わないで、ただ頭巾を被っているのと、いないのとだけの相違ですから、あまりの不思議とその女の側近くやって来たために、柳の蔭でお城の方ばかりを向いていた女が急に振返りました。
 振向かれて市五郎はタジタジとしました。後姿も衣紋《えもん》も寸分違わないけれど、目深《まぶか》い頭巾の間から現われた眼つきの鋭いこと。
 お銀様が振返った時に、一時|悸《ぎょっ》として市五郎は、すぐに足を立て直してなにげなき体《てい》で向うの方へ反《そ》らせます。
 市五郎が同心長屋の角を町の方へ入った時分に、何も知らないお銀様は、まだお城の方を見て、お君の帰るのを待っている。



底本:「大菩薩峠3」ちくま文庫、筑摩書房
   1996(平成8)年1月24日第1刷発行
   1996(平成8)年3月1日第3刷発行
底本の親本:「大菩薩峠 二」筑摩書房
   1976(昭和51)年6月20日初版発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:(株)モモ
校正:原田頌子
2001年10月6日公開
2004年2月6日修正
青空文庫作成ファイル:
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