ほど」
小林は米友の理窟に伏して、強いて目刺を焼こうともしません。
「このごろは世間が騒がしいからな」
ややあって小林は、何ともつかずにこんなことを言いました。
「ははは、世間が騒がしいというのは、あの辻斬のこったろう」
「うむ」
米友が存外平気なのを見て、小林は眼を丸くしました。
「十日ばかり前の晩にこの松山の向うで一人|殺《や》られたんだ、そいつが殺られた時は俺らは、まだこの八幡様へ奉公に来ていなかったんだ。この辻斬というやつは甲府に限ったことはねえんだ、江戸へ行ってみねえ、このごろはあっちこっちでずいぶん流行《はや》っていらあ」
「そんなものに流行られてはたまらねえ」
と小林は額を押えました。
「甲府へはまだ流行って来ねえけれども、江戸でも天誅《てんちゅう》というやつが流行り出してるのだ。天誅というのは、金持やなんかで太《ふて》えことをした奴を踏んごんで行って斬っちまって、その首を曝《さら》したりなんかするんだ、なかには前以て高札を立てて脅《おど》しといて斬る奴なんぞもあるんだ。なんでも薩摩の奴がいけねえんだそうだ、薩摩っぽうが天誅をやりやがるんだ。ナーニ、名前は天誅でその
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