んな魚でも食えるんだけれど、この甲州という山国へ来ては、たとえ、目刺にしてみたところが容易なもんじゃねえんだ、昔信玄公が北条と軍《いくさ》をした時分によ、小田原の方から塩を送らなかったものだ、これには信玄公も困ったね、海のねえ国で、塩の手をバッタリ留められてしまったんじゃあやりきれねえ、それを越後の謙信という大将が聞いてよ、おれが信玄と軍をするのは、弓矢の争いで塩の喧嘩じゃねえ、土や城は一寸もやれねえが、北国の塩でよければいくらでもやると言って、度胸を見せたのは名高え話だ。だからお前、いま目刺を持って来るにしたところで、駿河《するが》の国から呼ぶんだぜ。これから駿河の海辺へ出るのには三十里からあるんだ、その間を生肴《なまざかな》が通う時は半日一晩で甲府へ着くから大したものじゃねえか。その半日一晩で着いた生肴の方はなかなか俺たちの口にゃあ入らねえ」
といって小林文吾は、経木皮包を開いて火箸を横にしてそれを炙《あぶ》ろうとすると、見ていた米友が、
「おっと待ってくれ、酒はいいけれど肴の方はよしてもらいてえ、酒は神様も召上るけれど、まだ目刺を八幡様が召上ったという話は聞かねえからな」
「なる
前へ 次へ
全105ページ中83ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング