銀様は少し乱れたお君の髪を撫でつけてやりました。そうして自分の差していた結構な簪《かんざし》や櫛《くし》を抜き取って、それをお君の頭に差してやりました。
 お君は、お銀様がなんでこんなことをなさるのかと変に思われてたまりません。
「お君や、お前、今日はわたしになってごらん、わたしと同じ髪を結って、わたしと同じ着物を着て、そうしてお前がこの家の娘になるといい」
「お嬢様、何をおっしゃいます、飛んでもないことを」
 お君は呆《あき》れていますと、
「わたしがお前になって、お前がわたしになった方がよい、ね、そうしてごらん、わたし、こんな髪の飾りも要《い》らない、こんな着物も要らない、帯も要らない」
「まあ、お嬢様」
 お君がいよいよ呆れた時に、外でムクの吠える声がしました。
 髪の飾りも要らない、着物も要らない、帯も要らないと言ったお銀様は、お君の呆れて言句《ごんく》も出でない間に、ついと次の間に行ってしまいました。
 お君はそれも気にかかるけれど、いま吠えたムクの声も気にかかります。障子をあけて見るとムクが、今しも馬に乗って馬場の外へ打たせて行く能登守の馬を追いかけて、その足許に絡《から》
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